つれづれ

鳥の羽のこと

本当はその時の気持ちを、そのまま言葉に出来ればよかったのですが、グループで行動していると、その場で立ち止まったり、歩みを止めてしまったりするのが悪いので、部屋に帰ってから時間をとろうと思っていました。しかし、こういう事というのは、その場で…

東京生活の終わりに(6)

<(5)「賢治さんの言葉」から| 少しだけ穏やかなところへ そして私という人間はそういう話を、今の様な大人になってもまだ読んでいたりしますが、私は別にそこからそういうモノ達の世界が何処かにあるのだとか、そういう世界が本来のあるべき世界なのだ…

東京生活の終わりに(5)

<(4)「ヤンソンさんの言葉」から| 賢治さんの言葉 そしてこれと同じ様なことを、宮沢賢治さんもその童話集「注文の多い料理店」で語っています。この童話集には、「どんぐりと山猫」、「注文の多い料理店」、「月夜のでんしんばしら」などの作品が収録…

東京生活の終わりに(4)

<(3)「草木と共に」から| ヤンソンさんの言葉 その言葉とは、童話「ムーミン」の作者である「トーマス・ヤンソン」さんの言葉と、童話「銀河鉄道の夜」の作者である「宮沢賢治」さんの言葉です。ムーミン童話については昔にアニメ化されたこともあり、…

東京生活の終わりに(3)

<(2)「道について」から| 草木と共に 私はここ東京にいる間も、休日を利用しては時々、郊外の野や山に出かけたりしていました。それは畑や田圃が点々とするぐらいの近郊だったり、中央線の先の奥多摩だったり、信州の軽井沢や長野だったり、私のやって…

東京生活の終わりに(2)

<(1)「東京生活の終わりに」から| 道について 私はここにいる間に幾度か、なぜ私が東北に帰りたがるのかを、同じ年代の人だけではなく上の方(かた)からも質問を受けました。「東京にいた方が収入も増えるし、仕事の幅も広がる。君は家族が東北にいる…

東京生活の終わりに(1)

東京生活の終わりに 私は今ではもう、東京での2年契約の仕事を終えて、東北に戻ってきています。あちらでは勤めが忙しかったこともあり、次第に詩に触れる機会、特にまだ出会った事の無い詩に触れることは無くなっていました。そしてそれと共に、私には自分…

しろばんば(4) 〜しろばんば〜

<しろばんば(3)〜湯道〜から| しろばんば 私は自分の足の深いところつけて歩くうちに、石畳の道が右側に深く折れ曲がる角に差し掛りました。するとそこでは、今まで左手を薄く遮っていた針葉樹の連なりが途切れて視界が放たれ、私の目の先に、薄暗い煙…

しろばんば(3) 〜湯道〜

<しろばんば(2)〜浄連の滝〜から| 湯道 私は熱い湯船で温まった体を拭き、浴場から外に出て、そこから少し先の西平橋まで歩きました。橋の欄干に前腕をつけて橋の下を見下ろすと、流れが押し上げた冷たい空気がヒンヤリと胸の辺りを誘います。大地から…

しろばんば(2) 〜浄連の滝〜

<しろばんば(1)〜湯ヶ島温泉〜から| 浄連の滝 私は今日の昼間、2年振りぐらいに本棚から持ち出した「伊豆の踊子」の文庫本をリュックサックに入れて、浄連の滝から狩野川沿いに、踊子の歩道という車道から少し離れた道を一人で歩きました。そしてその…

しろばんば(1) 〜天城湯ヶ島温泉にて〜

湯ヶ島温泉 東京生活の終わりが近づいてきた私は、こちらにいる間に訪れたい土地として、中伊豆の湯ヶ島温泉を尋ねました。この温泉は、川端康成が「伊豆の踊子 (新潮文庫)」を執筆した際に滞在していたところであり、また、井上靖の小説「しろばんば (新潮…

かまくら

年賀状 私が年賀状を書いているときにいた場所は、岩手の山間の鄙びた温泉街でした。 最近は年賀状に、俳句や和歌を書いて送っているのですが、ここ半年ほど感性が弱っていて、絵画や彫刻を見ても感じるところ少なく、自然という創造の源泉からも離れている…

新年 ノッソノッソ

新年 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 私事ですが昨年の後半からは色々と疲弊することが続いており、コメント等対する返答が滞っているのですが、決して読んでいないのではなくHPなど訪問させて頂いては色々と考えさせられ…

かなしくなったときは(6)〜詩の鑑賞〜

<かなしくなったときは(6)から|(この鑑賞については、私の主観に基づくものであることを始めに断っておきます。) 海を見にゆく この詩の冒頭の4節は、「どういう時に海を見に行くか」を伝えています。それは古本屋の帰りであり、こころ貧しい朝であ…

かなしくなったときは(5)〜詩は何を語るのか〜

<かなしくなったときは(4)から| 会社にて 私はその翌日の会社の昼休みに、日本歌曲コンクールのことを話し、その歌曲の中で感動した詩が一つあったことを話題にしました(詩に興味を持つ人が増えれば良いのでが)。すると、同僚の一人がその話に興味を…

かなしくなったときは(4)〜かなしくなったときは〜

<かなしくなったときは(3)から| かなしくなったときは そのようにして聞いていた中で、記憶に残ることになったのは、寺山修司の詩の「かなしくなったときは」という歌曲でした。この詩については、大中恩と言う人が作曲を行っています。 実のところ、私…

かなしくなったときは(3)〜日本歌曲〜

<かなしくなったときは(2)から| 日本歌曲 奏楽堂の中の舞台では、ピアノの演奏がされていて、そのピアノの脇の舞台中央では、男の人があまり聞き慣れない発声で歌を独唱していました。それは、クラシック曲の独唱部分やオペラの歌唱部分の歌い方に似て…

かなしくなったときは(2)〜奏楽堂〜

<かなしくなったときは(1)から| 旧東京音楽学校奏楽堂 最近、上野公園での私のお気に入りは、少し前の日記に書いた「旧東京音楽学校奏楽堂」の日曜コンサートを聞くことです。それから私は、動物園前のピザ屋で一番安いチーズのピザにケチャップを乗せ…

かなしくなったときは(1)〜休日〜

休日のぶらつき先は GWも暦通りに終わり、私はまたもとの仕事に追われる昼と、詩と文章を推敲する静かな夜に戻りました。そして、休日もまた同じように、私はその夜の秘密の営みを太陽の下にまで押し広げて、こうして何かを書いていたりするわけです。 で…

梢の巣にて(3)〜高原の風景より〜

<梢の巣にて(2)から| 梢には小鳥の巣がある 鳥はなぜ、あのような、揺れの激しい木の上に巣を作るのでしょうか。 私が見ている間、鳥は姿を現しませんでしたが、それはその巣の鳥が本日留守なのか、それともその巣が今現在使われていないのか、あるいは…

梢の巣にて(2)〜高原の風景より〜

<梢の巣にて(1)から| 樹の上の鳥の巣 私はそのまま、木々の背が高くなっていく先へと急ぎました。森は相変わらず、荒れた褐色の肌をさらして、飄々とたたずんでいます。 すると、あるところで、辺りの見晴らしがよくなり、遠くの山が見えるようになりま…

梢の巣にて(1)〜高原の風景より〜

雪解けの高原へ 街の公園で、桜の花がほころび始めても、高原の林ではまだ風が吹きすさんでいるものです。私は3月の終わり頃に、雪の解けた森を散策しようと、長野の高原に出かけました。 ゆっくりと、一呼吸一歩−これは山登りの時の呼吸ですが、私はそのぐ…

雑記

筆の遅さについて 今月は3回に分けて相田みつをさんについて書きましたが、「書」や「悟り」について長々と書いてしまったため、美術館の中にある個々の作品については書くことが出来ませんでした。 というのも、私は感じたことを文章の形にするのが非常に…

相田みつを美術館に出かけて(3)〜悟りについて〜

<(2)書と向き合ってみるから| 相田さんの信教は いくつかの小分けにされた展示室を過ぎて、相田さん愛用の道具などが展示されている部屋に進むと、相田さんの話を録音したテープが流されている場所があります。そしてその話の中の一つに、悟りをテーマ…

相田みつを美術館に出かけて(2)〜書と向き合ってみる〜

<(1)相田みつをの言葉に出会ったのはから| 井戸を覗くと 地下一階を奥の突き当たりまで進むと、クリーム色の壁とガラス窓の休憩所が見えてきます。訪れた日は平日の午後でしたが、中は休日の美術館並みに混んでいるようでした。 さっそく美術館に入ると…

相田みつを美術館に出かけて(1)〜相田みつをの言葉に出会ったのは〜

相田みつを美術館 有楽町の駅の方から東京国際フォーラムに入り、長いエレベーターを降りて東京駅側に進みます。この地下一階の突き当たりに、「にんげんだもの」で有名な相田みつをさんの美術館があります。(公式HP:相田みつを美術館) 始めて出会った…

月明と覚りの関係について

週末は美術館・博物館へ 先週末は太平洋側に雪が降り、私の住んでいる埼玉でもこの冬初めて雪を見ることができました。私のアパート前の道は日当たりが悪くて、一週間経った今でもそのとけた雪が固まって新しい模様を作っています。こう朝が寒いと外に出たく…

空を指している

プラタナス 今年は例年になく雪が多く、とても寒い冬のようです。私の故郷の方は例年2月頃にならないと雪が積もらないのですが、今年は毎朝起きると必ずといっていいほど雪が降っており、そしてその雪は少しずつ重みを増しているようでした。 私はその故郷…

雪の上で

鶯宿温泉 年越しは、岩手県の鶯宿温泉に出かけていました。鶯宿温泉は、盛岡駅から雫石方面(岩手県西部)へ向かうバスで50分程の所にあり、山に囲まれた古くからの温泉街です。私はその中でも最も古びた元湯の自炊宿に泊まりました。 そこは岩手の内陸部…

新暦

尋ね入る 奥羽の宿で 初暦 大地にとけいる 雪囲かな 新年の歌について 私は去年の始めに自分の心境を深く織り込んだ短歌を詠みましたが、今年は年越し数日前から友人と共に過ごしたために、和やかさが表れる短歌となりました。 内容としても、自分の心の故郷…