中原中也

詩のpickup(好きな詩)

中原中也さんの詩の中から、好きな詩を10詩選びました。 詩集「山羊の歌」から 生ひ立ちの歌(私の上に降る雪は 真綿のやうでありました) サーカス(幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました) 少年時(黝い石に夏の日が照りつけ、 庭の地面が、朱色に…

汚れちまった悲しみに…

汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる 汚れつちまつた悲しみは たとえば狐の革袋 汚れつちまつた悲しみは 小雪のかかつてちぢこまる 汚れつちまつた悲しみは なにのぞむなくねがふなく 汚れつちま…

幼年囚の歌

1 こんなに酷《ひど》く後悔する自分を、 それでも人は、苛《いぢ》めなければならないのか? でもそれは、苛めるわけではないのか? さうせざるを得ないといふのか? 人よ、君達は私の弱さを知らなさすぎる。 夜《よ》も眠れずに、自《みづか》らを嘆くこ…

盲目の秋

Ⅰ 風が立ち、浪が騒ぎ、 無限の前に腕を振る。 その間《かん》、小さな紅《くれなゐ》の花が見えはするが、 それもやがては潰れてしまふ。 風が立ち、浪が騒ぎ、 無限のまへに腕を振る。 もう永遠に帰らないことを思つて 酷白《こくはく》な嘆息するのも幾た…

ポロリ、ポロリと死んでいく

俺の全身《ごたい》よ、雨に濡れ 富士の裾野に倒れたり 詠人不詳 ポロリ、ポロリと死んでゆく みんな分れてしまふのだ。 呼んだつて、帰らない。 なにしろ、此の世とあの世だから叶わない。 今夜《いま》にして、俺はやつとこ覚《さと》るのだ、 白々しい自…

ホラホラ、これが僕の骨だ、 生きてゐた時の苦労にみちた あのけがらはしい肉を破つて、 しらじらと雨に洗はれ、 ヌックと出た、骨の尖《さき》。 それは光沢もない、 ただいたづらにしらじらと、 雨を吸収する、 風に吹かれる、 幾分空を反映する。 生きて…

含羞

なにゆゑに こゝろかくは羞《は》ぢらふ 秋 風白き日の山かげなりき 椎の枯葉の落窪に 幹々は いやにおとなび彳《た》ちゐたり 枝々の 拱《く》みあはすあたりかなしげの 空は死児等の亡霊にみち まばたきぬ をりしもかなた野のうへは あすとらかんのあはひ…

黄昏

渋つた仄《ほの》暗い池の面で、 寄り合つた蓮の葉が揺れる。 蓮の葉は、図太いので こそこそとしか音をたてない。 音をたてると私の心が揺れる、 目が薄明るい地平線を逐《お》ふ…… 黒々と山がのぞきかかるばつかりだ ――失はれたものはかへつて来ない。 な…

少年時

黝《あをぐろ》い石に夏の日が照りつけ、 庭の地面が、朱色に睡つてゐた。 地平の果に蒸気が立つて、 世の亡ぶ、兆《きざし》のやうだつた。 麦田には風が低く打ち、 おぼろで、灰色だつた。 翔びゆく雲の落とす影のやうに、 田の面《も》を過ぎる、昔の巨人…

憔悴

Ⅰ 私はも早、善い意志をもつては目覚めなかつた 起きれば愁《うれ》はしい 平常《いつも》のおもひ 私は、悪い意思をもつてゆめみた…… (私は其処《そこ》に安住したのでもないが、 其処を抜け出すことも叶《かな》はなかつた) そして、夜が来ると私は思ふ…

正午

丸ビル風景 あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ 月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振つて あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ 大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出…

春宵感懐

雨が、あがつて、風が吹く。 雲が、流れる、月かくす。 みなさん、今夜は、春の宵。 なまあつたかい、風が吹く。 なんだか、深い、溜息が、 なんだかはるかな、幻想が、 湧くけど、それは、掴《つか》めない。 誰にも、それは、語れない。 誰にも、それは、…

サーカス

幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました 幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました 幾時代かがありまして 今夜此処での一と殷盛《さか》り 今夜此処での一と殷盛り サーカス小屋は高い梁 そこに一つのブランコだ 見えるともないブランコだ 頭倒《さか》…

頑是ない歌

思へば遠く来たもんだ 十二の冬のあの夕べ 港の空に鳴り響いた 汽笛の湯気《ゆげ》は今いづこ 雲の間に月はゐて それな汽笛を耳にすると 竦然《しようせん》として身をすくめ 月はその時空にゐた それから何年経つたことか 汽笛の湯気を茫然と 眼で追ひかな…

お天気の日の海の沖では

お天気の日の海の沖では 子供が大勢遊んでゐるやうです お天気の日の海をみてると 女が恋しくなつて来ます 女が恋しくなるともう浜辺に立つてはゐられません 女が恋しくなると人は日蔭に帰つて来ます 日陰に帰つて来ると案外又つまらないものです それで人は…

生ひ立ちの歌

I 幼年時 私の上に降る雪は 真綿《まわた》のやうでありました 少年時 私の上に降る雪は 霙《みぞれ》のやうでありました 十七―十九 私の上に降る雪は 霰《あられ》のやうに散りました 二十―二十二 私の上に降る雪は 雹《ひよう》であるかと思はれた 二十三 …

失せし希望

暗き空へと消え行きぬ わが若き日を燃えし希望は。 夏の夜の星の如くは今もなほ 遐《とほ》きみ空に見え隠る、今もなほ。 暗き空へと消えゆきぬ わが若き日の夢は希望は。 今はた此処《ここ》に打伏して 獣の如くは、暗き思ひす。 そが暗き思ひいつの日 晴れ…

後記

茲《ここ》に収めたのは、「山羊の歌」以後に発表したものの過半数である。作つたのは、最も古いのでは大正十四年のもの、最も新しいのでは昭和十二年のものがある。序《つい》でだから云ふが、「山羊の歌」には大正十三年春の作から昭和五年春迄のものを収…

蛙声

天は地を蓋《おお》ひ、 そして、地には偶々《たまたま》池がある。 その池で今夜一と夜さ蛙は鳴く…… ――あれは、何を鳴いてるのであらう? その声は、空より来り、 空へと去るのであらう? 天は地を蓋《おお》ひ、 そして蛙声《あせい》は水面に走る。 よし…

春日狂想

1 愛するものが死んだ時には、 自殺しなけあなりません。 愛するものが死んだ時には、 それより他に、方法がない。 けれどもそれでも、業《ごう》《?》が深くて、 なほもながらふことともなつたら、 奉仕の気持に、なることなんです。 奉仕の気持に、なる…

正午

丸ビル風景 あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ 月給取の午休《ひるやす》み、ぷらりぷらりと手を振つて あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ 大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな…

米子

二十八歳のその処女《むすめ》は、 肺病やみで、腓《ひ》は細かつた。 ポプラのやうに、人も通らぬ 歩道に沿つて、立つてゐた。 処女《むすめ》の名前は、米子と云つた。 夏には、顔が、汚れてみえたが、 冬だの秋には、きれいであつた。 ――かぼそい声をして…

冬の長門峡

長門峡に、水は流れてありにけり。 寒い寒い日なりき。 われは料亭にありぬ。 酒酌《く》みてありぬ。 われのほか別に、 客とてもなかりけり。 水は、恰《あたか》も魂あるものの如く、 流れ流れてありにけり。 やがても密柑《みかん》の如き夕陽、 欄干《ら…

或る男の肖像

1 洋行帰りのその洒落者《しやれもの》は、 齢《とし》をとつても髪に緑の油をつけてた。 夜毎喫茶店にあらはれて、 其処《そこ》の主人と話してゐる様《さま》はあはれげであつた。 死んだと聞いてはいつそうあはれであつた。 2 ――幻滅は鋼《はがね》のい…

村の時計

村の大きな時計は、 ひねもす動いてゐた その字板のペンキは、 もう艶《つや》が消えてゐた 近寄つてみると、 小さなひびが沢山にあるのだつた それで夕陽が当つてさへが、 おとなしい色をしてゐた 時を打つ前には、 ぜいぜいと鳴つた 字板が鳴るのか中の機…

月の光 その二

おゝチルシスとアマントが 庭に出て来て遊んでる ほんに今夜は春の宵《よひ》 なまあつたかい靄《もや》もある 月の光に照らされて 庭のベンチの上にゐる ギタアがそばにはあるけれど いつかう弾き出しさうもない 芝生のむかふは森でして とても黒々してゐま…

月の光 その一

月の光が照つてゐた 月の光が照つてゐた お庭の隅の草叢《くさむら》に 隠れてゐるのは死んだ児だ 月の光が照つてゐた 月の光が照つてゐた おや、チルシスとアマントが 芝生の上に出て来てる ギタアを持つては来てゐるが おつぽり出してあるばかり 月の光が…

また来ん春……

また来ん春と人は云ふ しかし私は辛いのだ 春が来たつて何になろ あの子が返つて来るぢやない おもへば今年の五月には おまへを抱いて動物園 象を見せても猫《にやあ》といひ 鳥を見せても猫《にやあ》だつた 最後に見せた鹿だけは 角によつぽど惹かれてか …

月夜の浜辺

月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際に、落ちてゐた。 それを拾つて、役立てようと 僕は思つたわけでもないが なぜだかそれを捨てるに忍びず 僕はそれを、袂《たもと》に入れた。 月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際に、落ちてゐた。 それを拾つて、役立てようと …

言葉なき歌

あれはとほいい処にあるのだけれど おれは此処《ここ》で待つてゐなくてはならない 此処は空気もかすかで蒼《あを》く 葱《ねぎ》の根のやうに仄《ほの》かに淡《あは》い 決して急いではならない 此処で十分待つてゐなければならない 処女《むすめ》の眼《…