立原道造
立原道造さんの詩の中から、好きな詩を10詩選びました。 詩集「萱草に寄す」から 夏花の歌(それはあの日の夏のこと! いつの日にか もう返らない夢のひととき) 夏の弔ひ(逝いた私の時たちが 私の心を金にした 傷つかぬやう傷は早く愎るやうにと) のち…
私はおまへの死を信じる。おまへは死んだと、だれも私には告げない。また私はおまへの死の床《とこ》に立ち会わなかつた。それにも拘らず私は信じる、おまへがひとりさびしく死んで行つたと。――それはおそらく夜の明けようとするときだつたらう、おまへは前…
だれも 見てゐないのに 咲いてゐる 花と花 だれも きいてゐないのに 啼いてゐる 鳥と鳥 通りおくれた雲が 梢の 空たかく ながされて行く 青い青いあそこには 風が さやさや すぎるのだらう 草の葉には 草の葉のかげ うごかないそれの ふかみには てんたうむ…
山のみねの いただきの ぎざぎざの上 あるのは 青く淡い色 あれは空 空のかげに かがやく日 空のおくに ながれる雲……私はおもふ 空のあちこちを 夏の日に咲いてゐた 百合の花も ゆふすげも 薊(あざみ)の花も かたい雪の底に かくれてゐる みどりの草も い…
死んだ人なんかゐないんだ。 どこかへ行けば、きつといいことはある。 夏になつたら、それは花が咲いたらといふことだ、高原を林深く行かう。もう母もなく、おまへもなく。つつじや石榴の花びらを踏んで。ちようどついこの間、落葉を踏んだやうにして。 林の…
FRAULEIN A.MUROHU GEWIDMET 降りすさむでゐるのは つめたい雨 私の手にした提灯《ちやうちん》はやうやく 昏《くら》く足もとをてらしてゐる 歩けば歩けば夜は限りなくとほい 私はなぜ歩いて行くのだらう 私はもう捨てたのに 私を包む寝床《ねどこ》も あつ…
悲哀《ひあい》のなかに 私はたたずんで 眺めてゐる いくつもの風景が しづかに みづからをほろぼすのを すべてを蔽《おほ》ふ 大きな陽さしのなかに 私は黒い旗のやうに 過ぎて行く古いおもひにふるへながら 風や 光や 水たちが 陽気にきらめくのを とほく…
深い秋が訪れた!(春を含んで) 湖《みづうみ》は陽《ひ》にかがやいて光つてゐる 鳥はひろいひろい空を飛びながら 色どりのきれいな山の腹《はら》を峡《たに》の方に行く 葡萄《ぶだう》も無花果《いちじく》も豊かに熟《う》れた もう穀物の収穫ははじま…
逝《ゆ》いた私の時たちが 私の心を金《きん》にした 傷つかぬやう傷は早く愎《なほ》るやうにと 昨日と明日との間には ふかい紺青《こんじやう》の溝がひかれて過ぎてゐる 投げて捨てたのは 涙のしみの目立つ小さい紙のきれはしだつた 泡立つ白い波のなかに…
雨あがりのしづかな風がそよいでゐた あのとき 叢《くさむら》は露《つゆ》の雫《しづく》にまだ濡れて 蜘蛛《くも》の念珠《おじゆず》も光つてゐた 東の空には ゆるやかな虹がかかつてゐた 僕らはだまつて立つてゐた 黙つて! ああ何もかもあのままだ おま…
その一 空と牧場《まきば》のあひだから ひとつの雲が湧きおこり 小川の水面《すゐめん》に かげをおとす 水の底には ひとつの魚が 身をくねらせて 日に光る それはあの日の夏のこと! いつの日にか もう返らない夢のひととき 黙つた僕らは 足に藻草《もぐさ…
夢はいつもかへつて行つた 山の麓《ふもと》のさびしい村に 水引草《みづひきぐさ》に風が立ち 草ひばりのうたひやまない しづまりかへつた午《ひる》さがりの林道を うららかに青い空には陽《ひ》がてり 火山は眠つてゐた ――そして私は 見て来たものを 島々…
ゆさぶれ 青い梢を もぎとれ 青い木《こ》の実を ひとよ 昼はとほく澄みわたるので 私のかへつて行く故里《ふるさと》が どこかにとほくあるやうだ 何もみな うつとりと今は親切にしてくれる 追憶よりも淡く すこしもちがはない静かさで 単調な 浮雲と風のも…
大きな大きなめぐりが用意されてゐるが だれにもそれとは気づかれない 空にも 雲にも うつろふ花らにも もう心はひかれ誘はれなくなつた 夕やみの淡い色に身を沈めても それがこころよさとはもう言はない 啼《な》いてすぎる小鳥の一日も とほい物語と唄《う…
私らはたたずむであらう 霧のなかに 霧は山の沖にながれ 月のおもを 投箭《なげや》のやうにかすめ 私らをつつむであらう 灰の帷《とばり》のやうに 私らは別れるであらう 知ることもなしに 知られることもなく あの出会つた 雲のやうに 私らは忘れるであら…
ささやかな地異《ちい》は そのかたみに 灰を降らした この村に ひとしきり 灰はかなしい追憶のやうに 音立てて 樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた その夜《よ》 月は明《あかる》かつたが 私はひとと 窓に凭《もた》れて語りあつた(その窓からは山の姿…
目次 SONATINE No.1 はじめてのものに またある夜に 晩き日の夕べに わかれる昼に のちのおもひに 夏花の歌 SONATINE No.2 虹とひとと 夏の弔ひ 忘れてしまつて
昨夜《ゆふべ》の眠りの よごれた死骸の上に 腰をかけてゐるのは だれ? その深い くらい瞳から 今また 僕の汲んでゐるものは 何ですか? こんなにも 牢屋《ひとや》めいた部屋うちを あんなに 御堂《みだう》のやうに きらめかせ はためかせ あの音楽はどこ…
夜だ――すべての窓に 燈《ひ》はうばはれ 道が そればかり ほのかに明《あかる》く かぎりなく つづいてゐる……それの上を行くのは 僕だ ただひとり ひとりきり 何ものをもとめるとなく 月は とうに沈みゆき あれらの やさしい音楽のやうに 微風《そよかぜ》も…
沈黙は 青い雲のやうに やさしく 私を襲ひ…… 私は 射とめられた小さい野獣のやうに 眠りのなかに 身をたふす やがて身動きもなしに ふたたび ささやく 失はれたしらべが 春の浮雲と 小鳥と 花と 影とを 呼びかへす しかし それらはすでに私のものではない あ…
美しいものになら ほほゑむがよい 涙よ いつまでも かはかずにあれ 陽は 大きな景色のあちらに沈みゆき あのものがなしい 月が燃え立つた つめたい!光にかがやかされて さまよひ歩くかよわい生き者たちよ 己《おれ》は どこに住むのだらう――答へておくれ 夜…
灼《や》けた瞳《ひとみ》が 灼けてゐた 青い眸《ひとみ》でも 茶色の瞳でも なかつた きらきらしては 僕の心を つきさした 泣かさうとでもいふやうに しかし 泣かしはしなかつた きらきら 僕を撫《な》でてゐた 甘つたれた僕の心を嘗《な》めてゐた 灼けた…
あれらはどこに行つてしまつたか? なんにも持つてゐなかつたのに みんな とうになくなつてゐる どこか とほく 知らない場所へ 真冬の雨の夜《よる》は うたつてゐる 待つてゐた時とかはらぬ調子で しかし帰りはしないその調子で とほく とほい 知らない場所…
おやすみ やさしい顔した娘たち おやすみ やはらかな黒い髪を編んで おまへらの枕もとに胡桃《くるみ》色にともされた燭台《しよくだい》のまはりには 快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪) 私はいつまでもうたつてゐてあげよう 私はくらい窓…
一人はあかりをつけることが出来た そのそばで 本をよむのは別の人だつた しづかな部屋だから 低い声が それが隅の方にまで よく聞えた(みんなはきいてゐた) 一人はあかりを消すことが出来た そのそばで 眠るのは別の人だつた 糸紡ぎの女が子守の唄をうた…
やがて 秋が 来るだらう 夕ぐれが親しげに僕らにはなしかけ 樹木が老いた人たちの身ぶりのやうに あらはなかげをくらく夜《よる》の方に投げ すべてが不確かにゆらいでゐる かへつてしづかなあさい吐息《といき》にやうに…… (昨日でないばかりに それは明日…
おまへのことでいつぱいだつた 西風《にしかぜ》よ たるんだ唄《うた》のうたひやまない 雨の昼に とざした窗《まど》のうすあかりに さびしい思ひを噛《か》みながら おぼえてゐた をののきも 顫《ふる》へも あれは見知らないものたちだ…… 夕ぐれごとに か…
目次 Ⅰ 或る風に寄せて Ⅱ やがて秋…… Ⅲ 小譚詩 Ⅳ 眠りの誘ひ Ⅴ 真冬の夜の雨に Ⅵ 失なはれた夜に Ⅶ 溢れひたす闇に Ⅷ 眠りのほとりに Ⅸ さまよひ Ⅹ 朝やけ