2006-07-01 かなしい遠景 詩 萩原朔太郎 かなしい薄暮になれば、 労働者にて東京市中が満員なり、 それらの憔悴《しようすい》した帽子のかげが、 市街《まち》中いちめんにひろがり、 あつちの市区でも、こつちの市区でも、 堅い地面を掘つくりかへす、 掘り出して見るならば、 煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ。 重さ五匁《もんめ》ほどもある、 にほひ菫《すみれ》のひからびきつた根つ株だ。 それも本所深川あたりの遠方からはじめ、 おひおひ市中いつたいにおよぼしてくる。 なやましい薄暮のかげで、 しなびきつた心臓がしやべるを光らしてゐる。 目次に戻る