2004-06-01から1ヶ月間の記事一覧

山の重さが私を攻め囲んだ 私は大地のそそり立つ力をこころに握りしめて 山に向かつた 山はみじろぎもしない 山は四方から森厳な静寂をこんこんと噴き出した たまらない恐怖に 私の魂は満ちた ととつ、とつ、ととつ、とつ、と 底の方から脈うち始めた私の全…

レモン哀歌

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた かなしく白くあかるい死の床《とこ》で わたしの手からとつた一つのレモンを あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ トパアズいろの香気が立つ その数滴の天のものなるレモンの汁は ぱつとあなたの意識を正常にした あな…

冬が来た

きつぱりと冬が来た 八つ手の白い花も消え 公孫樹《いてふ》の木も箒《はうき》になつた、 きりきりともみ込むやうな冬が来た 人にいやがられる冬 草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た 冬よ 僕に来い、僕に来い 僕は冬の力、冬は僕の餌食《ゑじき》だ し…

人に

いやなんです あなたのいつてしまふのが――― 花よりさきに実のなるやうな 種子《たね》よりさきに芽の出るやうな 夏から春のすぐ来るやうな そんな理窟に合はない不自然を どうかしないでゐて下さい 型のやうな旦那さまと まるい字をかくそのあなたと かう考…

道程

僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る ああ、自然よ 父よ 僕を一人立ちにさせた広大な父よ 僕から目を離さないで守る事をせよ 常に父の気魄を僕に充たせよ この遠い道程のため この遠い道程のため

樹下《じゅか》の二人

―――みちのくの安達が原の二本松 松の根かたに人立てる見ゆ――― あれが阿多多羅山《あたたらやま》 あの光るのが阿武隈川《あぶくまがは》 かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、 うつとりねむるやうな頭の中に、 ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡り…

さびしきみち

かぎりなきさびしけれども われは すぎこしみちをすてて まことにこよなきちからのみちをすてて いまだしらざるつちをふみ かなしくもすすむなり ――そはわがこころのおきてにして またわがこころのよろこびのいづみなれば わがめにみゆるものみなくしくして …

あどけない話

智恵子は東京に空が無いといふ。 ほんとの空が見たいといふ。 私は驚いて空を見る。 桜若葉の間《あひだ》に在るのは、 切つても切れない むかしなじみのきれいな空だ。 どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。 智恵子は遠くを見ながら言…