詩のpickup(好きな詩)

中原中也さんの詩の中から、好きな詩を10詩選びました。

  • 詩集「山羊の歌」から
    • 生ひ立ちの歌
      (私の上に降る雪は 真綿のやうでありました)
    • サーカス
      (幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました)
    • 少年時
      (黝い石に夏の日が照りつけ、 庭の地面が、朱色に睡つてゐた。)
    • 盲目の秋
      (風が立ち、浪が騒ぎ、 無限の前に腕を振る。)
  • 詩集「在りし日の歌」から
    • 頑是ない歌
      (思へば遠く来たもんだ 十二の冬のあの夕べ)
    • 春宵感懐
      (雨が、あがつて、風が吹く。 雲が、流れる、月かくす。)
    • 含羞
      (なにゆゑに こゝろかくは羞ぢらふ)
  • その他



生ひ立ちの歌



I

   幼年時
私の上に降る雪は
真綿《まわた》のやうでありました

   少年時
私の上に降る雪は
霙《みぞれ》のやうでありました

   十七―十九
私の上に降る雪は
霰《あられ》のやうに散りました

   二十―二十二
私の上に降る雪は
雹《ひよう》であるかと思はれた

   二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました

   二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……

II

私の上に降る雪は
花びらのやうに降つてきます
薪《たきぎ》の燃える音もして
凍るみ空の黝《くろ》む頃

私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸べて降りました

私の上に降る雪は
熱い額に落ちもくる
涙のやうでありました

私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生したいと祈りました

私の上に降る雪は
いと貞潔でありました

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サーカス



幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処での一と殷盛《さか》り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒《さか》さに手を垂れて
  汚れ木綿の屋蓋《やね》のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
  安値《やす》いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
  咽喉《のんど》が鳴ります牡蠣殻《かきがら》と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外は真ッ闇 闇《くら》の闇
夜は刧々《こふこふ》と更けまする
落下傘奴《らくかがさめ》のノスタルヂアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

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少年時



黝《あをぐろ》い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。

地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆《きざし》のやうだつた。

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。

翔びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面《も》を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午《ひる》過ぎ時刻
誰彼の午睡《ひるね》するとき、
私は野原を走つて行つた……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫《ああ》、生きてゐた、私は生きてゐた!

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盲目の秋





風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

その間《かん》、小さな紅《くれなゐ》の花が見えはするが、
  それもやがては潰れてしまふ。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思つて
  酷白《こくはく》な嘆息するのも幾たびであらう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華《ひがんばな》と夕陽とがゆきすぎる。

それはしづかで、きらびやかで、なみなみと湛《たた》へ、
  去りゆく女が最後にくれる笑《ゑま》ひのやうに、

厳《おごそ》かで、ゆたかで、それでゐて佗《わび》しく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

     あゝ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。



これがどうならうと、あれがどうならうと、
そんなことはどうでもいいのだ。

これがどういふことであらうと、それがどういふことであらうと、
そんなことはなほさらどうだつていいのだ。

人には自恃《じじ》があればよい!
その余はすべてなるまゝだ……

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行ひを罪としない。

平気で、陽気で、藁束《わらたば》のやうにしむみりと、
朝霧を煮釜に填《つ》めて、跳起きられればよい!

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頑是ない歌



思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気《ゆげ》は今いづこ

雲の間に月はゐて
それな汽笛を耳にすると
竦然《しようせん》として身をすくめ
月はその時空にゐた

それから何年経つたことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなつてゐた
あの頃の俺はいまいづこ

今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど

生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜《よる》の
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我《が》ン張る僕の性質《さが》
と思へばなんだか我《われ》ながら
いたはしいよなものですよ

考へてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやつてはゆくのでせう

考へてみれば簡単だ
畢竟《ひつきやう》意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさへすればよいのだと

思ふけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いづこ

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春宵感懐



雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあつたかい、風が吹く。

なんだか、深い、溜息が、
 なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴《つか》めない。
 誰にも、それは、語れない。

誰にも、それは、語れない
 ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
 けれども、それは、示《あ》かせない……

かくて、人間、ひとりびとり、
 こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどの
 ことして、一生、過ぎるんですねえ

雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあつたかい、風が吹く。

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含羞



なにゆゑに こゝろかくは羞《は》ぢらふ
秋 風白き日の山かげなりき
椎の枯葉の落窪に
幹々は いやにおとなび彳《た》ちゐたり

枝々の 拱《く》みあはすあたりかなしげの
空は死児等の亡霊にみち まばたきぬ
をりしもかなた野のうへは
あすとらかんのあはひ縫ふ 古代の象の夢なりき

椎の枯葉の落窪に
幹々は いやにおとなび彳ちゐたり
その日 その幹の隙 睦みし瞳
姉らしき色 きみはありにし

その日 その幹の隙《ひま》 睦みし瞳
姉らしき色 きみはありにし
あゝ! 過ぎし日の 仄《ほの》燃えあざやぐをりをりは
わが心 なにゆゑに なにゆゑにかくは羞ぢらふ……

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ポロリ、ポロリと死んでいく



俺の全身《ごたい》よ、雨に濡れ 
富士の裾野に倒れたり      
               詠人不詳

ポロリ、ポロリと死んでゆく
みんな分れてしまふのだ。
呼んだつて、帰らない。
   なにしろ、此の世とあの世だから叶わない。

今夜《いま》にして、俺はやつとこ覚《さと》るのだ、
白々しい自分であつたと。
そしてもう、むらみやたらにやりきれぬ。
   (あの世からでも、俺から奪へるものでもあつたら奪つてくれ)

それにしてもが過ぐる日は、なんと浮はついてゐたことだ。
あますなきみぢめな気持である時も
随分いい気でゐたものだ。
   (おまへの訃報に遇ふまでを、浮かれてゐたとはどうもはや。)

風が吹く
あの世も風は吹いてるか?
熱にほてつたその頬に、風をうけ
正直無比な目で以《もつ》て、
おまへは私に話したがつてるのかも知しれない…

その夜、私は目を覚ます。
障子は破れ、風は吹き、
まるでこれでは戸外《そと》に寝てるも同様だ。

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幼年囚の歌





こんなに酷《ひど》く後悔する自分を、
それでも人は、苛《いぢ》めなければならないのか?
でもそれは、苛めるわけではないのか?
さうせざるを得ないといふのか?

人よ、君達は私の弱さを知らなさすぎる。
夜《よ》も眠れずに、自《みづか》らを嘆くこの男を、
君達は知らないのだ、嘆きのために、
果物にもパンにももう飽《あ》かしめられたこの男を。

君達は知らないのだ、神のほか、地上にはもうよるべのない、
冬の夜《よ》は夜空のもとに目も耳もないこの悲しみを。
それにしてもと私は思ふ、

この明瞭なことが、どうして君達には見えないのだらう?
どうしてだ? どうしてだ?
君達は、自疑《じぎ》してるのだと私は思ふ……



今夜《こよ》はまた、かくて呻吟《しんぎん》するものを、
明日《あす》の日は、また罪犯す吾《われ》なるぞ。
かくて幾たび幾そたび繰返すとも悟らぬは、
いかなる呪《のろ》ひのためならむ。

かくは烈しく呻吟し
かくは間《ま》なくし罪つくる。
繰返せども返せども、
つねに新し、たびたびに。

かくは烈しく呻吟し、
などてはまたも繰返す?
かくはたびたび繰返し、
などては進みもなきものか?

われとわが身にあらそへば
人の喜び、悲しみも、
ゼラチン透《す》かし見るごとく
かなしくもまたおどけたり。

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汚れちまった悲しみに…



汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとえば狐の革袋
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる…

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