詩のpickup(好きな詩)

山村暮鳥さんの詩の中から、好きな詩を10詩選びました。

  • 詩集「三人の処女」から

    • (やまのうへにふるきぬまあり、ぬまはいのれるひとのすがた)
  • 詩集「聖三稜玻璃」から

    • (岬の光り 岬のしたにむらがる魚ら)
  • 詩集「梢の巣にて」から
  • 詩集「風は草木にささやいた」から
  • 詩集「雲」から
    • 西瓜の詩
      (ひつそりと 西瓜のるすばんだ)
    • ある時
      (雲もまた自分のやうだ 自分のやうに すつかり途方にくれてゐるのだ)





やまのうへにふるきぬまあり、
ぬまはいのれるひとのすがた、
そのみづのしづかなる
そのみづにうつれるそらの
くもは、かなしや、
みづとりのそよふくかぜにおどろき、
ほと、しづみぬるみづのそこ、
そらのくもこそゆらめける。
あはれ、いりひのかがやかに
みづとりは
かく、うきつしづみつ、
こころのごときぬまなれば
さみしきはなもにほふなれ。

やまのうへにふるきぬまあり
そのみづのまぼろし
ただ、ひとつなるみづとり。

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岬の光り
岬のしたにむらがる魚ら
岬にみち盡《つ》き
そら澄み
岬に立てる一本の指。

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自分は光をにぎつてゐる



自分は光をにぎつてゐる
いまもいまとてにぎつてゐる
而《しか》もをりをりは考へる
此の掌《てのひら》をあけてみたら
からつぽではあるまいか
からつぽであつたらどうしよう
けれど自分はにぎつてゐる
いよいよしつかり握るのだ
あんな烈しい暴風《あらし》の中で
掴んだひかりだ
はなすものか
どんなことがあつても
おゝ石になれ、拳
此の生きのくるしみ
くるしければくるしいほど
自分は光をにぎりしめる

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鉄瓶は蚯蚓のやうにうたつてゐる



うすぐらいでんとうがひとつ
せまいけれどがらんとしたへやだ
ぼんやりとめざめてゐるわたしに
なんといふしづかさ

そとではかぜがあばれてゐる
いたづらなこどものやうに
あめをつよくふきかけたり
とをがたがたとたゝいたり
けれどわたしのへやのしづかさは
まるでふかいうみそこのやうだ
きふすもちやわんも
ごろごろそこらにころがつたなりで
みんなぐつすりねむつてゐる

ぐつたりとつかれて
あほむけにひつくりかへつたわたしのそばで
ほそぼそと
ひばちのうへのてつびんが
なにやらうたをうたひはじめた

ゆびをくむにはくんだけれど
さてどんなことをいのつたものか

かぜはいよいよはげしく
おそろしいけだものでもほえるやうだ
とはいへわたしのへやばかりは
ひつそりと
てつびんがみゝずのやうにうたつてゐる

どうぞこのまゝねかしてください
またあたらしいたいやうのでるまで

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わたしは天《そら》をながめてゐた
なつのよるの
海のやうな天を

陰影《かげ》の濃い
日中のひどいあつさはどこへやら
よるの涼しさにひたつてゐると
まるで青い魚のやうだ
かきねのそとでは
ひよろりと高い蜀黍《もろこし》が四五本
水のやうなそよかぜ
広葉をばさばささせてゐる
さかりのついてる豚が小舎からぬけでて
ぶうぶううろつきまはつてゐる
きまぐれな蟋蟀《きりぎりす》が一ぴき鳴いてゐる
もう秋が
すぐそこまできてゐた

こどもをねかしつけてゐた妻が
こどもがねついたので
足音を盗むやうにそこへでてきた
すつかり晴れましたね
わたしはだまつてゐた
なんて綺麗なんでせうね
いつみてもお星様は
わたしはそれでもだまつてゐた
わたしはそれをうるさいとさへおもつた
すつきりと澄透つた心を
掻きみだされたくなかつた
わたしは天をながめてゐた

妻は心配さうに低く
わたしの顔をのぞきこんで言つた
どうかなすつて
その声はしめつてゐた
すこしふるへてゐるやうだつた
けれどしんみりと美しかつた
わたしははつとした
そして跳返されたやうに口を切つた
まあ見な
永遠の寂しさだ
ただそれだけ
それぎりわたしはなんにもいはず
妻もまたなんにもいはず
あたりはしいんと
天では星がきらきらしてゐた
ふたりはそれをながめてゐた

星はもう
どれもこれも
みな幸福さうであつた
みな幸福にみたされてきらきらしてゐた
おほきいほし
ちひさなほし
一つぽろりとひかつてゐるほし
たくさん塊つてゐるほし
わたしはうれしくつてうれしくつて
なみだが頬つぺたを流れた
妻をみると
妻も瞼をぬらしてゐた
わたしはたうとうたまらなくなつて
びつくりしてゐる妻をぎゆつと抱きすくめた
だきすくめられて
妻は深い溜息をもらした
わたしはそれをはつきりと聴きとつた

わたしは言つた
これ、こんなに手が冷くなつた
妻はそれにこたへるでもなく
だがさゝやくやうに
もうよほど遅いのでせう
廚《くりや》の中のこどもがごろりと寝がへりを打つたやうだ
星が一つすうつと尾を曳いてとんだ
こんどは妻が言つた
ほんとにねるにはをしいやうですね
ほそぼそと沁みこむやうな
純《きよ》らかなその声
わたしはほろりとして消えてしまひたいやうな気持で
而《しか》もきつぱりと
首でも括《くく》るならこんなばんだ
けれど生きるといふことは
それ以上どんなにすばらしいことだか

星は一つ一つ
千万無数
まるで黄金《きん》の穀粒でもふりまいたやうだ
ばらばらとこぼれおちさうだ
それが空一めん
そしてきらきらとひかつてゐた
わたしたちはねるのもすつかりわすれてしまつて
冴えざえした目で
しみじみ天をながめてゐた
よるのふけるにしたがつて
星はいよいよ
強くきらきら光りだした
もう草も木もひつそりした
さつきの豚もきりぎりすもどこへかゐなくなつて
めざめてゐるのは星ばかりだ
それをわたしたちはながめてゐた
手をのばしたら指尖にでも吸ひつきさうにみえる空、そして星

おきたやうだよ
さうですね
わたしたちはこどもの泣き声におどろかされて
またべつべつの二人になつた
もうねようか
えゝ
妻はいそいで廚《くりや》にはいつた
そして中から
おさきへといつた
それをきくとなんとなく、たゞなんとなく
どうしてもたちあがらないではゐられなかつた
わたしはたちあがつた
雨戸をぴしぴししめながらも
わたしは天をながめてゐた
それから寝床に這ひこんで
ごろりと横になるにはなつたが
わたしはまだ天をながめてゐた
もうねたかい
返辞がない

わたしはめをとぢた
天の星はひときはきらきらとひかりはじめた

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人間に与へる詩



そこに太い根がある
これをわすれてゐるからいけないのだ
腕のやうな枝をひき裂き
葉つぱをふきちらし
頑丈な樹幹をへし曲げるやうな大風の時ですら
まつ暗な地べたの下で
ぐつと踏張てゐる根があると思へば何でもないのだ
それでいいのだ
そこに此の壮麗がある
樹木をみろ
大木をみろ
このどつしりとしたところはどうだ

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ザボンの詩



おそろしい嵐の日だ
けれど卓上はしづかである
ザボンが二つ
あひよりそふてゐるそのむつまじさ
何もかたらず
何もかたらないが
それでよいのだ
嵐がひどくなればなるほど
いよいよしづかになるザボン
たがひに光沢《つや》を放つザボン

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秋のよろこびの詩



青竹が納屋の天井の梁にしばりつけられると
大きな摺臼は力強い手によつてひとりでに廻りはじめる
ごろごろと
その音はまるで海のやうだ
金の穀物は乱暴にもその摺臼に投げこまれて
そこでなかのいい若衆《わかいしゆ》と娘つ子のひそひそばなしを聞かせられてゐる
ごろごろと
その音はまるで海のやうだ
ごろごろごろごろ
何といふいい音だらう
あちらでもこちらでもこんな音がするやうになると
お月様はまんまるくなるんだ
そしてもうひもじがるものもなくなった
ああ収穫のよろこびを
ごろごろごろごろ
世界のはてからはてまでつたへて
ごろごろごろごろ

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西瓜の詩



農家のまひる
ひつそりと
西瓜《すいか》のるすばんだ
大《でつ》かい奴がごろんと一つ
座敷のまんなかにころがつてゐる
おい、泥棒がへえるぞ
わたしが西瓜だつたら
どうして噴出さずにゐられたらう

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ある時



雲もまた自分のやうだ
自分のやうに
すつかり途方にくれてゐるのだ
あまりにあまりにひろすぎる
涯《はて》のない蒼空なので
おう老子
こんなときだ
にこにことして
ひよつこりとでてきませんか

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