2005-09-01から1ヶ月間の記事一覧

この頃

仕事の帰りが遅くなっています。私の詩は心が安らいでいるとき、自然の言葉を聞こえてくる時、その流れを形にしたものです。走っている時に周りの景色は見えません。共にあることによって見えてくるものがあります。月末に短い休みが貰えることになっていま…

9月の更新

感人の詩を追加 あの頃の時代 幸せということ 交差点 雪の降る夜 立木 太郎へ つれづれ 友人宅で芋煮を囲む 野付牛にて 日比谷日記 秋の夕暮れ コンテンツ一覧 コンテンツ(一覧) 記事(一覧) ※日記「つれづれ」以外のコメントは、こちらの更新ページにお…

オホーツク海に向かいて(2)

砂浜にも花が咲いていました。大風の日には波がやってくるであろう様な、そんなところにも花は咲いているのです。砂の上に黄色の花を咲かせている植物、名前はわかりません。花としてはタンポポに少し似ています。顔を出しているのは花だけなのです。私はそ…

オホーツク海に向かいて(1)

私は次の日、再び海を見るためにサロマ湖へ向かいました。サロマ湖は日本で三番目に大きい湖で、湖からは砂嘴*1で区切られてオホーツク海と面しています。砂嘴には海風が吹き付け、また砂嘴という地形から独特の植物が育ち、ワッカ原生花園になっています。 …

網走にて

網走駅で列車を降りると、蕩々と流れる網走川が見えました。海からの風に吹かれた水は、どちらに流れているともわからないほどに悠々でした。海が見たい、そう思いました。私がとっての海は、夏に人が集まる海ではありません。夏であればリアス式の高い岸壁…

友人宅で芋煮を囲む

友人の所へ出かけていました。彼は自転車での日本一週を終えて、仙台に住所を構えました。仙台は、私達がかつて住んでいた場所。長い寮生活を送った場所です。仙台というのは東北では一番の大都市であり、東北の各地から若い人達が集まる場所でありますが、…

あの頃の時代

私はまた 此処に来ています 覚えていますか 僕達のことを 雪が少し残る はがね色の空の下 みんなで出かけましたよね 大沢の湯に 茅葺きの宿が見え 酒を飲んでいましたね もう最後だというのに 誰だったかしら 露天で飲みたいと言ったのは もう止まらなくて …

雪の降る夜

幾年《いくとせ》の部屋に向かいて 畳座し壁と語らう 古き書は眠りに満ちて 揃えたる主《あるじ》を知らず 諸手にて知識を積めば 漂える雨の森の香 いつの日か国に帰らん 我はまだ浮世の旅路 雪の降る夜はなつかし 時を見る闇夜の明かり 音も無く進み寄る影 …

交差点

白と黒のしましま 人の影が過ぎる ひびくは鳩の足音 首を振るバネの人形 スクランブルに過ぎさる 大人達のあこがれ ひびくはサイレンの音 うつむくは時計台の針 白い線を歩く日 雪の国の童《わらし》 黒い線を歩く日 ビルの国の子供 根を持たぬ並木道 スクラ…

幸せということ

筒のような 日 幸せという物を 空に描《えが》いてみる 浅ましい 姿であった 人づてに堅く聞いたり 欠け落ちた 寄生者と 蔑まれることのない 日々 私自身 良心と逆なるもので 人を問いつめ 強いなければならない そういうことのない 日々 石に似せ 小石を固…

野付牛にて

野付牛にきています。野付牛とは、アイヌ語の野の端または野の果ての意味のことで、現在の北見市にあたります。台風が近くにいる中でのフライトは、機体が上下左右に揺れて気持ち悪かったのですが、一夜明けてみると台風は去り、北海道の空には青空が広がっ…

立木

空が澄むと素直になれる そういう心でいつもありたい 風が吹くとさやかになれる そういう心でいつもありたい 花が咲くとやさしくなれる そういう心でいつもありたい 森に居ると豊かになれる そういう心でいつもありたい 立木となって いつもありたい (2005.9…

太郎へ

ビルの間《あいだ》に 幾万もの人達 街を歩く日 ひと足 ひと振り 人という密度が アスファルトに背を反らし 大きく手を振りかぶって ラジオ体操を踊る 太陽を手に入れた者達 大声を張り上げ 笑顔で 高らかに 今日という日を 一度に畝《うね》らす それは始ま…

秋の夕暮れ

私はいつものように、夕食を会社の地下でとりました。しかし、このまま残って仕事を続けても今の案件に区切りが付くという事ではありませんでした。私は職場に戻る気持ちにはなれず、玄関を外に出ました。 家に帰るか、会社に戻るか、その2つの選択しを絶え…