オホーツク海に向かいて(1)

ハマナスの実


私は次の日、再び海を見るためにサロマ湖へ向かいました。サロマ湖は日本で三番目に大きい湖で、湖からは砂嘴*1で区切られてオホーツク海と面しています。砂嘴には海風が吹き付け、また砂嘴という地形から独特の植物が育ち、ワッカ原生花園になっています。
ワッカとは、アイヌ語で「ワッカ・オ・イ」という「水が・ある・ところ」を示しています。砂嘴の中ほどに、真水の湧く沼があるということに関連しています。オホーツク海サロマ湖という塩水と塩水の狭間に真水が湧いているのです。自転車で行ける最終地点にこのわき水があって、この水は不思議な甘みのある水なのです。
ハマナスの花などで有名な場所ですが、今の時期は花が終わり、トマトのような赤い実が沢山実っていました。また他の花も夏の盛りを過ぎて、秋の季節に枯れ始めていました。防風林以外はすべてこのハマナスのような小さい葉の低い木が湿原地帯の様に茂るだけで、高い樹木は見られません。
私は自転車を借りて砂州を走り、海側に出られるところで自転車を降りて波の方に近づいて行きました。そこの波は網走の海岸の波よりも更に荒れていて、もはや近づく事が出来ないほどです。波によって色づいた砂とそうでない砂の間を歩いて、波と戯れるような、そういった事はとても出来そうにありません。おそらく直ぐ深みになるのでしょう、波は砂浜に近づくと急速に口を高く開け、浜を飲み込もうとしています。
私は波に濡れた辺りから少し離れて座り、じっと海と向き合うことにしました。時間は一日ありました。海を見るためだけに今日は来たのです。砂浜にすわり、お尻の下に砂をいれ足を組み、背筋を伸ばして、思考を閉じ座禅を始めました。こういった場所で、じっと心の中に何かが入ってくるのを待っていたかったからです。自分から何かを求めてカケラを得る、もはや求めていた物とは変わってしまったカケラを得る。そういった事を欲するのではなく、自分のすべてを失い、自分のすべてを捨てて、その跡に求めていたものの全体が透き通ってくることを望んでいました。
しかし、私はそこで座禅を行っていくことは出来ませんでした。ジッと海を眺めることは出来ます。しかし、身を自然に委ねるような状態に至ることが出来ませんでした。もちろん座禅といっても真似事に過ぎません。私はお坊さんでも仏教徒でもありません。ただ昔一度、座禅の仕方を教わっただけです。河原でじっと座してみたり、自宅の畳で坐してみたりするだけです。
私は座り、斜め前の方をハッキリとはしない、何処を見つめるというのではない視線で海に向かいました。呼吸を整え、次第に薄れていく境界と思考を思いました。しかしそういった時、数回に一度、波が波を追い越して後から来た波が激しく砂浜を叩きつける音が、私を呼び起こしました。波の音は私の身体を締め付けながら、それを進み、砂丘を越えて響いて湖の先にこだまし響いていくようでした。そう締め付けながら進んでいくのです。
そんな時私は、自分が今何処に立っているのか、自分が海の方にいるのか陸の方にいるのか、あるいはそのどちらでもないのか、この場所はいったいどういう場所なのか、自分は今生きているのか。そういった事を確認せざるを得ないのでした。しかし、そのように呼び戻され、上を向いたとしても、波は私の身体にはかからず、そして私の身体のある所と海の所は変わらずにあり、波の行き着く所は私の体から離れた所にあるのです。
そう確認した所で私はまた座り始めるのですが、やはり同じように陸を飲み込むような大きな波の音に身体を起こされて、私の意識は再び目覚めざるをえないのでした。私はその様なことを繰り返した後、立ち上がり、激しいまでの波飛沫で少し湿った辺りの砂浜を歩きました。茫然としたまま荒涼さを求めて歩きました。何か本当に美しいものを求めて歩きました。ここで津波が起こったら私は海に連れて行かれるのだろうと思いながら、同じような所を行ったり来たりしていました。
海から見て、私の座っていた所の先は少し盛り上がっており、芝生のような草が生えいます。しかしその草の根は空中に浮かび、草の下の地面はえぐられていました。この海に向かって口を開けているように、そう、波が陸地を奪おうと爪を掻いているとすれば、陸もまた彼らから何かを奪おうと鋭く爪を研いでいるようでした。
人は還ると言います。人は海から来て、そして海に還ると。もうこの世にやり残したことはありません。私はかつて生命を生み出したであろう海に来て、始まりの海に還ろうと。しかし私は、この海に来ても、やはり還ることが出来ないと思います。このような激しい波が繰り返す中で、私の様な者が海に入っていっても、飲み込まれ、そして吐き出されて、同じような波の激しい砂浜に打ちあげられるのではないでしょうか。海は私を母なる所へは返してくれずに、私を拒絶し、吐き出すでしょう。お前はいらない。大いなる海はお前を拒絶すると。こうゆう海に迎えられて帰ることの出来る人間とはどういう人間なのでしょうか。おそらく私はまだ出会ったことがありません。

 (2005.9.9)

*1:沿岸流や波浪によって運ばれた砂礫が海岸や湖岸から細長く突堤状に堆積して出来た地形(大辞林