秋の夕暮れ

私はいつものように、夕食を会社の地下でとりました。しかし、このまま残って仕事を続けても今の案件に区切りが付くという事ではありませんでした。私は職場に戻る気持ちにはなれず、玄関を外に出ました。
家に帰るか、会社に戻るか、その2つの選択しを絶えず繰り返している交差点に出て、唯一そうでない道というのは日比谷公園へと向かう道です。私が常日頃、わずかに与えられた昼休みを過ごすのがこの公園であり、午前中にどんな辛いことがあったとしても、その全てを忘れる事が出来ました。
しかし、夕方にここを訪れるのは初めてでした。私はいつものように、噴水のあるカモメ広場に足を踏み入れました。噴水はライトアップされて、そのなかの彫刻の鳥たちが色鮮やかに浮き上がっています。そこでは、昼間の油蝉の「ジジジ……」という空気を押し殺す声とはうってかわり、金属製の楽器を奏でた様なヒグラシの声が響き渡っていました。
この広場には、サクラの木があります。サクラの木は背が低いので、油蝉が鳴いている声を聞くと、木の枝の何処で彼らが鳴いているのかを見付けることが出来ました。しかしヒグラシの声は、どこから聞こえていくるとはいえず響くるので、どの方向にいるのかを知ることが出来ません。そして辺りも暗いので、サクラの枝にヒグラシの姿を見付けることは出来ませんでした。
私はそこから日比谷図書館を右にして先に進み、通りケヤキ並木を抜けて、いつも休憩をするベンチへと向かいました。土の道を歩いていきます。すると足下で何かが動きました。辺り薄暗く少しおっかないようですが、私はしゃがんで何が動いているかを見つめました。すると、それは蛙であって、白いお腹に茶色い肌をした大きな体をしていました。
私は半年程この公園を歩いていますが、彼らを見たことは一度もありません。いったい何処から来たのでしょうか。私は下に気をとられて歩きながら、そんなことを考えていると、暗い足下で何かが時々動き、しゃがんで見つめるとやはりそれは様々な大きさの蛙なのでした。それも一匹や二匹ではありません。注意してみるとそこら中にいて、草が風になびくように飛び跳ねていたのです。彼らは昼間いったい何処にいたのでしょうか。私は段々その中を歩いていくのが怖くなって、噴水のある広場の方に抜けて行きました。
広場の噴水は、下からライトで照らされて高く昇っています。私はその噴水の縁に寝転がり、空を見ました。私はこちらに来てから星を見ていないような気がします。お月様の姿は何度か帰り道で見かけるのですが、星空を見た覚えがないのです。先日故郷に帰った際も、連日夕立が酷く空を走り、夜になっても星の宇宙を見せてはくれませんでした。私はそこに寝っ転がりましたが、やはり空は曇っていて、星を見ることは出来ません。少しだけ頭を傾けてみると、周りを囲むオフィスビルの窓は酷く明かりが灯っています。
ここでもやはりヒグラシの声が聞こえてきます。広場の中ではどの方向から聞こえてくるのかわからなかった彼らの音も、やはり声は空からではなく森から聞こえてくる事がわかります。私はこのままここに寝そべって、日々を送っていくのもいいのではないかと思っています。人は自分のちょうどいいところを探しているのです。私はこういった日々が、何より大切に思えます。
しかし、星がいつも見えなかったとしても、晴れの日もあれば雨の日もあるのです。雨の日、ここに暮らす猫たちはどこに隠れているのでしょうか。人も隠れられるのでしょうか。彼らに近づいたとしても、隠れる所には行けずに、いつも逃げられてしまいます。私が人間だからでしょうか。私は心穏やかなる者です。木々を愛し、森となろうとする者です。私は君たちの側にいられる人間です。

 (2005.8)
 知り合いに宛てた、手紙の一文から