友人宅で芋煮を囲む

友人の所へ出かけていました。彼は自転車での日本一週を終えて、仙台に住所を構えました。仙台は、私達がかつて住んでいた場所。長い寮生活を送った場所です。仙台というのは東北では一番の大都市であり、東北の各地から若い人達が集まる場所でありますが、大学を卒業すると大抵の学生は外へ出て行ってしまう場所でもあります。
以前に聞いた話ですが、私の通っていた大学には毎年5割程度の学生が東北の外からやってきます。しかし、そこを卒業した学生の9割は東北の外に出て行ってしまうそうです。仙台に住んだことのある人は、仙台が住みやすく良い所だといいます。私も又そう思います。そう思いながら外に出て行ってしまうのは、やはり東北地域には職が不足しているためかもしれません。
みなそれぞれ職に対する夢や興味がある。そういった状況では、さまざまな職業があり求人もある東京へ出て行ってしまうのでしょう。私は他の人と違い、職業に対する興味も関心もなく、生きていくための糧を得る事が出来ればよいという考えでした。だから何をするかにはこだわらず、仙台で働ける職を探し、仙台にて就職しました。今は不幸にして東京におりますが、一年半後に戻れる予定です。
しかし、仙台に私が戻ったときには、人がいなくなっているかもしれません。大学が人より好きで長居した友人も、大学院に進んだ友人も、誰もいなくなっているのしれません。私はそういった中に、一人降り立つのかもしれません。昔住んでいた所を訪れ、家を探し、自分の部屋を構えるのかもしれません。何度も何度も寮のあった場所に足を運ぶのかもしれません。
そんな中、彼は戻ってきてくれました。彼は一度会社に就職して仙台を離れ、その後会社を辞めて自転車で日本一周をし、そして仙台に戻ってきました。彼は2歳後輩なので、まだまだ大学の友人がいますが、彼の友人もまた私と同じように、2年後には離れていく人が多いだろうと思います。しかし、その頃には私は帰っているはずです。
今回彼の家に集まったのは、かつての寮の友人達です。その内の2人は学生であり、やがて離れていってしまうかもしれません。そして一人は私。そしてもう一人は長崎に帰ったけれど、仙台にやってきて来た友人です。少なくなったかもしれません。以前は飲み会をすると言えば、もっともっと狭い部屋に大勢集まったことでしょう。しかし少なくとも、今もその様に友が集まって酒を飲むことが出来るのです。
私は会社の飲み屋が好きではありません。なぜか、そういった飲み会がとても冷たく思えるのです。それは私がそういった場にふさわしくない、貧しい人間だからかもしれません。一日分の労働を一度に使うことになれていないからかもしれません。しかし、私達が部屋に集って飲む飲み会は、とても暖かい物です。何も豪華な食材はなく、近所のスーパーで安い食材を選んで作った鍋であっても、その鍋の中に、今の季節は高いネギが入っていなかったとしても、私達はそれでいいのです。
芋煮とは、山形・仙台地域の料理です。秋になると河原に人が集まり、里芋を煮て鍋を囲みます。山形は里芋と牛肉を醤油で、仙台は里芋と豚肉を味噌で煮込みます。友人は山形風の芋煮を出汁から取っておいしく作ってくれました。飲み会とはこういうものだと思います。人から見たら、それは貧しい学生達の飲み会で、大人になった人達の飲み会ではないというかもしれません。しゃれた店構えの、皆がおいしいという工夫を凝らしたお店を探して、集まるのが飲み会だと言うのかもしれません。しかし、たとえ私の飲み会が皆に貧しい考えと言われても、私は満足なのです。
暮らして行ければそれでいい。価値は人それぞれです。お金を得ることに価値を見いだす人、地位・名誉を得ることに価値を見いだす人、可哀想なロボットを使う事に価値を見いだす人、それぞれです。しかし、私はちょうどいいところ、そして数少ない友人を選びます。バブル後の世代の私達は、堀江さん達より後の世代である私達は、社会的価値とは違う価値を持っていますよ。
きっと私の友人達、どうしようも無い人間達は、やがて仙台に帰ってくると思います。帰ってこれなかったとしても、きっと将来にわたって集まれると思います。新居を構えた友人に感謝。社会が変わっても、より多くの友人達が集まれるように。