詩のpickup(好きな詩)

萩原朔太郎さんの詩の中から、好きな詩を10詩選びました。

  • 詩集「月に吠える」から
    • 掌上の種
      (われは手のうへに土を盛り、土のうへに種をまく)
    • さびしい人格
      (さびしい人格が私の友を呼ぶ、わが見知らぬ友よ、早くきたれ)
    • 見しらぬ犬
      (この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる)
    • 青樹の梢をあふぎて
      (わたしは愛をもとめてゐる、わたしを愛する心のまづしい乙女を求めてゐる)
  • 詩集「青猫」から
  • 詩集「蝶を夢む」から
    • 青空に飛び行く
      (かれは感情に飢ゑてゐる。かれは風に帆をあげて行く舟のやうなものだ)
    • 灰色の道
      (恋びとよ あの遠い空の雷鳴をあなたは聴くか)
  • その他
    • 海豹
      (わたしは遠い田舎の方から 海豹のやうに来たものです。)
    • 郵便局の窓口で
      (父上よ 何が人生について残つて居るのか。)



掌上の種



われは手のうへに土《つち》を盛り、
土のうへに種をまく、
いま白きじようろもて土に水をそそぎしに、
水はせんせんとふりそそぎ、
土のつめたさはたなごころの上にぞしむ。
ああ、とほく五月の窓をおしひらきて、
われは手を日光のほとりにさしのべしが、
さわやかなる風景の中にしあれば、
皮膚はかぐはしくぬくもりきたり、
手のうへの種はいとほしげにも呼吸《いき》づけり。

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さびしい人格



さびしい人格が私の友を呼ぶ、
わが見知らぬ友よ、早くきたれ、
ここの古い椅子に腰をかけて、二人でしづかに話してゐよう、
なにも悲しむことなく、きみと私でしづかな幸福な日をくらさう、
遠い公園のしづかな噴水の音をきいて居よう、
しづかに、しづかに、二人でかうして抱き合つて居よう、
母にも父にも兄弟にも遠くはなれて、
母にも父にも知らない孤児の心をむすび合はさう、
ありとあらゆる人間の生活《らいふ》の中で、
おまへと私だけの生活について話し合はう、
まづしいたよりない、二人だけの秘密の生活について、
ああ、その言葉は秋の落葉《おちば》のやうに、そうそうとして膝の上にも散つてくるではないか。

わたしの胸は、かよわい病気したをさな児の胸のやうだ。
わたしの心は恐れにふるえる、せつない、せつない、熱情のうるみに燃えるやうだ。
ああいつかも、私は高い山の上へ登つて行つた、
けはしい坂路をあふぎながら、虫けらのやうにあこがれて登つて行つた、
山の絶頂に立つたとき、虫けらはさびしい涙をながした。
あふげば、ぼうぼうたる草むらの山頂で、おほきな白つぽい雲がながれてゐた。

自然はどこでも私を苦しくする、
そして人情は私を陰鬱《いんうつ》にする、
むしろ私はにぎやかな都会の公園を歩きつかれて、
とある寂しい木蔭《こかげ》に椅子をみつけるのが好きだ、
ぼんやりした心で空を見てゐるのが好きだ、
ああ、都会の空をとほく悲しくながれてゆく煤煙《ばいえん》、
またその建築の屋根をこえて、はるかに小さくつばめの飛んで行く姿を見るのが好きだ。

よにもさびしい私の人格が、
おほきな声で見知らぬ友をよんで居る、
わたしの卑屈な不思議な人格が、
鴉《からす》のやうなみすぼらしい様子をして、
人気《ひとげ》のない冬枯れの椅子の片隅にふるえて居る。

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見しらぬ犬



この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
みすぼらしい、後足でびつこをひいてゐる不具《かたわ》の犬のかげだ。

ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
わたしのゆく道路の方角では、
長屋の家根がべらべらと風にふかれてゐる、
道ばたの陰気な空地では、
ひからびた草の葉つぱがしなしなとほそくうごいて居る。

ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
おほきな、いきもののやうな月が、ぼんやりと行手に浮んでゐる、
さうして背後《うしろ》のさびしい往来では、
犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきずつて居る。

ああ、どこまでも、どこまでも、
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
きたならしい地べたを這ひまはつて、
わたしの背後《うしろ》で後足をひきずつてゐる病気の犬だ、
とほく、ながく、かなしげにおびえながら、
さびしい空の月に向つて遠白く吠えるふしあはせの犬のかげだ。

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青樹の梢をあふぎて



まづしい、さみしい町の裏通りで、
青樹がほそほそと生えてゐた。

わたしは愛をもとめてゐる、
わたしを愛する心のまづしい乙女を求めてゐる、
そのひとの手は青い梢の上でふるへてゐる、
わたしの愛を求めるために、いつも高いところでやさしい感情にふるへてゐる。

わたしは遠い遠い街道で乞食をした、
みぢめにも飢ゑた心が腐つた葱や肉のにほひを嗅いで涙をながした、
うらぶれはてた乞食の心でいつも町の裏通りを歩きまはつた。

愛をもとめる心は、かなしい孤独の長い長いつかれの後にきたる、
それはなつかしい、おほきな海のやうな感情である。

道ばたのやせ地に生えた青樹の梢で、
ちつぽけな葉つぱがひらひらと風にひるがへつてゐた。

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群集の中を求めて歩く



私はいつも都会をもとめる
都会のにぎやかな群集の中に居ることをもとめる
群集はおほきな感情をもつた浪のやうなものだ
どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛欲とのぐるうぷだ
ああ ものがなしき春のたそがれどき
都会の入り混みたる建築と建築との日影をもとめ
おほきな群集の中にもまれてゆくのはどんなに楽しいことか
みよこの群集のながれてゆくありさまを
ひとつの浪はひとつの浪の上にかさなり
浪はかずかぎりなき日影をつくり 日影はゆるぎつつひろがりすすむ
人のひとりひとりにもつ憂ひと悲しみと みなそこの日影に消えてあとかたもない
ああ なんといふやすらかな心で 私はこの道をも歩いて行くことか
ああ このおほいなる愛と無心のたのしき日影
たのしき浪のあなたにつれられて行く心もちは涙ぐましくなるやうだ。
うらがなしい春の日のたそがれどき
このひとびとの群は 建築と建築との軒をおよいで
どこへどうしてながれ行かうとするのか
私のかなしい憂鬱をつつんでゐる ひとつのおほきな地上の日影
ただよふ無心の浪のながれ
ああ どこまでも どこまでも この群集の浪の中をもまれて行きたい
浪の行方は地平にけむる
ひとつの ただひとつの「方角」ばかりさしてながれ行かうよ。

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自然の背後に隠れて居る



僕等が藪のかげを通つたとき
まつくらの地面におよいでゐる
およおよとする象像《かたち》をみた
僕等は月の影をみたのだ。
僕等が草叢をすぎたとき
さびしい葉ずれの隙間から鳴る
そわそわといふ小笛をきいた。
僕等は風の声をみたのだ。

僕等はたよりない子供だから
僕等のあはれな感触では
わづかな現はれた物しか見えはしない。
僕等は遙かの丘の向うで
ひろびろとした自然に住んでる
かくれた万象の密語をきき
見えない生き物の動作をかんじた。

僕等は電光の森かげから
夕闇のくる地平の方から
烟の淡じろい影のやうで
しだいにちかづく巨像をおぼえた
なにかの妖しい相貌《すがた》に見える
魔物の迫れる恐れをかんじた。

おとなの知らない希有《けう》の言葉で
自然は僕等をおびやかした
僕等は葦のやうにふるへながら
さびしい曠野に泣きさけんだ。
「お母ああさん! お母ああさん!」

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青空に飛び行く



かれは感情に飢ゑてゐる。
かれは風に帆をあげて行く舟のやうなものだ
かれを追ひかけるな
かれにちかづいて媚をおくるな
かれを走らしめろ 遠く白い浪のしぶきの上にまで。
ああ かれのかへつてゆくところに健康がある。
まつ白な 大きな幸福の寝床がある。
私をはなれて住むときには
かれにはなんの煩らひがあらう!
私は私でここに止つてゐよう
まづしい女の子のやうに 海岸に出で貝でも拾つてゐよう
ねぢくれた松の木の幹でも眺めてゐよう
さうして灰色の砂丘に坐つてゐると
私は私のちひさな幸福に涙がながれる。
ああ かれをして遠く遠く沖の白浪の上にかへらしめろ
かれにはかれの幸福がある。
ああかくして、一羽の鳥は青空に飛び行くなり。

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灰色の道



日暮れになつて散歩する道
ひとり私のうなだれて行く
あまりにさびしく灰色なる空の下によこたふ道
あはれこのごろの夢の中なるまづしき乙女
その乙女のすがたを恋する心にあゆむ
その乙女は薄黄色なる長き肩掛けを身にまとひて
肩などはほつそりとやつれて哀れにみえる
ああこのさびしく灰色なる空の下で
私たちの心はまづしく語り 草ばなの露にぬれておもたく寄りそふ。
恋びとよ
あの遠い空の雷鳴をあなたは聴くか
かしこの空にひるがへる波浪の響にも耳をかたむけたまふか。

恋びとよ
このうす暗い冬の日の道辺に立つて
私の手には菊のすえたる匂ひがする
わびしい病鬱のにほひがする。
ああげにたへがたくもみじめなる私の過去よ
ながいながい孤独の影よ
いまこの並木ある冬の日の街路をこえて
わたしは遠い白日の墓場をながめる
ゆうべの夢のほのかなる名残をかぎて
さびしいありあけの山の端をみる。
恋びとよ 恋びとよ。

恋びとよ
物言はぬ夢のなかなるまづしい乙女よ
いつもふたりでぴつたりとかたく寄りそひながら
おまへのふしぎな麝香のにほひを感じながら
さうして霧のふかい谷間の墓をたづねて行かうね。

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海豹



わたしは遠い田舎の方から
海豹《あざらし》のやうに来たものです。
わたしの国では麦が実り
田畑がいちめんにつながつてゐる。
どこをほつつき歩いたところで
猫の子いつぴき居るのでない
ひようひようといふ風にふかれて
野山で口笛を吹いている私だ。
なんたる哀せつの生活だらう。
ぶなや楡《にれ》の木にも別れをつげ
それから毛布に荷物をくるんで
わたしはぼんやりと出かけてきた。
うすく桜の咲くころ
都会の白つぽい街路の上を
わたしの人力車が走つて行く。
さうしてパノラマ館の塔の上には
ぺんぺんとする小旗《こばた》を掲げ
円頂塔《どうむ》や煙突の屋根をこえて
さうめいに晴れた青空をみた。

ああ 人生はどこを向いても
いちめんに麦のながれるやうで
遠く田舎のさびしさがつづいてゐる。
どこにもこれといふ仕事がなく
つかれた無職者のひもじさから
きたない公園のベンチに坐つて
わたしは海豹のやうに嘆息《たんそく》した。

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郵便局の窓口で



郵便局の窓口で
僕は故郷(こきやう)への手紙をかいた。
鴉(からす)のやうに零落(れいらく)して
靴も運命もすり切れちやつた
煤煙(ばいえん)は空に曇って
けふもまだ職業は見つからない。

父上よ
何が人生について残つて居るのか。
僕はかなしい虚無感から
貧しい財布の底をかぞへて見た。
すべての人生を銅貨にかへて
道路の敷石(しきいし)に叩(たた)きつけた。
故郷(こきやう)よ!
老(お)いたまへる父上よ。

僕は港の方へ行かう
空気のやうに蹌踉(さうらう)として
波止場(はとば)の憂鬱な道を行かう。
人生よ!
僕は出奔(しゆつぱん)する汽船の上で
笛の吠(ほ)えさけぶ響(ひびき)をきいた。

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