東京生活の終わりに(6)

空


(5)「賢治さんの言葉」から|

少しだけ穏やかなところへ

そして私という人間はそういう話を、今の様な大人になってもまだ読んでいたりしますが、私は別にそこからそういうモノ達の世界が何処かにあるのだとか、そういう世界が本来のあるべき世界なのだとか、そういうことを言うのではありません。

ただこの世界の奥にはそういう不思議さがあって、枯葉がこの身の後ろをさらさらと舞い落ちていく秋の林を歩いている時や、寒明けの未だ冷たい大気が水辺を淡く湿らす傍に、ふとネコヤナギのつぼみを見かけた時などには、私にもそういう世界が感じられてくることがあるのです。そして私はそれを感じられる時を持ちたいのです。

それゆえに私は身近に山や森を歩くことができるような地方の土地で暮らしたい思いますし、やがて私のたどり着く場所が人数少なく便利とは程遠い地域であっても、社会の煩わしさ(何もかもが雑多で機械じみた雑音から)から遠く離れて、季節の巡りが感じられる自然の豊かなところにいたいのです。

皆さんは私の帰るところが、そんな山奥の村でも海辺の町でもないことを知っていると思いますが、私の心には今ここで述べたような深々とした思いがあり、そこに少しでも近づこうとしていることを考えていただければ、私が今から帰っていくところも私の進む方向として間違っていないのだと分かっていただけるのではないでしょうか。

私は体も悪いですしあまり器用な人間ではないので、住みたい場所を選んでから仕事を探すような自由はありませんが、とりあえず私が生きていけるぐらいの仕事がある範囲内で、私はそこに帰りたいと思います。

(2007.05-06記述)