鳥の羽のこと

寒風山


本当はその時の気持ちを、そのまま言葉に出来ればよかったのですが、グループで行動していると、その場で立ち止まったり、歩みを止めてしまったりするのが悪いので、部屋に帰ってから時間をとろうと思っていました。

しかし、こういう事というのは、その場で少しでも形にしておかなくてはだめですね。後から思い出そうとして、その時私が立っていた場所や目に映っていた風景、そして私が手にしていた事を再現しようしてみても、その時の世界による印象を得ることは出来ず、何も書き付けられませんでした。

秋田県男鹿半島に、寒風山という一面を草に包まれた黄緑色の丘があります。私は7月の三連休を利用して、大学時代の友人と共に、秋田駅からレンタカーを借りてその丘の頂上付近まで上りました。

その上に立って周りを見渡すと、下には弧の字型の海岸線とその先の海が、上には夏色をした空と風に裾を切られた雲が前面に広がっていました。それは、天気の優れない空が続いているこの頃の気分を、空の彼方に変えてくれる程のすがすがしさです。

海からの潮風は−日本海からの海風は不思議と潮の匂いが薄いのですが−裾野の方から広がっている草原を駆け抜けてきて、丘の所々を染める白詰草や赤詰草の三ツ葉とその花に触り、そして他の草丈から飛び出した待宵草の茎と花を揺らしていきました。

その花と花、風と風とは、誰もここにいなくても自然に咲いているものですが、その中に立ってその喜びを感じられる事はとてもうれしい事です。私は腕を伸ばしてゆっくりと回ってみたり、手を広げて風を受けてみたりしました。

人はどうして、こういう風景の中に立つと、今ある世界とは違う世界を思ってしまったりして、今の自分を遠く感じてしまうのでしょうか。それとも、そういう事を感じるのは私だけでしょうか。遠くに行きたくなったり、旅に出てみたくなったりしてしまうのは。

そのうえ私はさらに、その緑色が広がる丘の草の中に、一枚の細長い鳥の羽が落ちているのを見つけ、その羽の柄を持ってそこから拾い上げました。そしてその羽を青い空の方に照らしてみせたのですが、その羽の思いというのが、その羽を落とした鳥が、残した羽を取り上げた私という人間を、どこか遙かなるところへ誘っているような気がしてきて、私の心は遥かな方へ満たされたのです。

しかし、今となっては私はその時の思いを、旋律を持った印象としては言葉に出来ないのです。こういう機会に対して、少なくとも自分が一人で旅をしている時には敏感になりましたが、人前ではなかなかそういう自分を出すことができずません。私はあまり感性の豊かな方ではないので、何かを感じられた時はそれこそその時の気持ちを大切にしていきたいと思うのですが。