2005-03-20から1日間の記事一覧

いのちの声

もろもろの業《わざ》、太陽のもとにては蒼《あを》ざめたるかな。 ――ソロモン 僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。 あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。 僕は雨上りの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。 僕に押寄せてゐるもの…

憔悴

Pour tout homme, il vient une epoque ou l'homme languit. ――Proverbe. Il faut d'abord avoir soif…… ――Catherine de Medicis. 私はも早、善い意志をもつては目覚めなかつた 起きれば愁《うれ》はしい 平常《いつも》のおもひ 私は、悪い意思をもつてゆめ…

羊の歌

安原喜弘に Ⅰ 祈 り 死の時には私が仰向《あふむ》かんことを! この小さな顎《あご》が、小さい上にも小さくならんことを! それよ、私は私が感じ得なかつたことのために、 罰されて、死は来たるものと思ふゆゑ。 あゝ、その時私の仰向かんことを! せめて…

羊の歌

時こそ今は……

時こそ今は花は香炉に打薫じ ボードレール 時こそ今は花は香炉に打薫《うちくん》じ、 そこはかとないけはひです。 しほだる花や水の音や、 家路をいそぐ人々や。 いかに泰子、いまこそは しづかに一緒に、をりませう。 遠くの空を、飛ぶ鳥も いたいけな情け…

生ひ立ちの歌

Ⅰ 幼年時 私の上に降る雪は 真綿《まわた》のやうでありました 少年時 私の上に降る雪は 霙《みぞれ》のやうでありました 十七―十九 私の上に降る雪は 霰《あられ》のやうに散りました 二十―二十二 私の上に降る雪は 雹《ひよう》であるかと思はれた 二十三 …

雪の宵 

青いソフトに降る雪は 過ぎしその手か囁《ささや》きか 白秋 ホテルの屋根に降る雪は 過ぎしその手か、囁《ささや》きか ふかふか煙突煙《けむ》吐いて、 赤い火の粉も刎《は》ね上る。 今夜み空はまつ暗で、 暗い空から降る雪は…… ほんに別れたあのをんな …

修羅街輓歌

関口隆克に 序歌 忌《いま》はしい憶《おも》ひ出よ、 去れ! そしてむかしの 憐みの感情と ゆたかな心よ、 返つて来い! 今日は日曜日 縁側には陽が当る。 ――もういつぺん母親に連れられて 祭の日には風船玉が買つてもらひたい、 空は青く、すべてのものは…

1 昨日まで燃えてゐた野が 今日茫然として、曇つた空の下《もと》につづく。 一雨毎に秋になるのだ、と人は云ふ 秋蝉は、もはやかしこに鳴いてゐる、 草の中の、ひともとの木の中に。 僕は煙草を喫ふ。その煙が 澱《よど》んだ空気の中をくねりながら昇る。…

つみびとの歌

阿部六郎に わが生は、下手な植木師らに あまりに夙《はや》く、手を入れられた悲しさよ! 由来わが血の大方は 頭にのぼり、煮え返り、滾《たぎ》り泡だつ。 おちつきがなく、あせり心地に、 つねに外界に索《もと》めんとする。 その行ひは愚かで、 その考…

更くる夜

内海誓一郎に 毎晩々々、夜が更《ふ》けると、近所の湯屋の 水汲む音がきこえます。 流された残り湯が湯気となつて立ち、 昔ながらの真つ黒い武蔵野の夜です。 おつとり霧も立罩《たちこ》めて その上に月が明るみます、 と、犬の遠吠がします。 その頃です…

無題

Ⅰ こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに、 私は強情だ。ゆうべもおまへと別れてのち、 酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝 目が覚めて、おまへのやさしさを思ひ出しながら 私は私のけがらはしさを歎いてゐる、そして 正体もなく、今茲《ここ》に告白をす…

汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる 汚れつちまつた悲しみは たとへば狐の革裘《かはごろも》 汚れつちまつた悲しみは 小雪のかかつてちぢこまる 汚れつちまつた悲しみは なにのぞむなくねがふな…

みちこ

そなたの胸は海のやう おほらかにこそうちあぐる。 はるかなる空、あをき浪、 涼しかぜさへ吹きそひて 松の梢をわたりつつ 磯白々とつづきけり。 またなが目にはかの空の いやはてまでもうつしゐて 竝《なら》びくるなみ、渚《なぎさ》なみ、 いとすみやかに…

みちこ

心象

Ⅰ 松の木に風が吹き、 踏む砂利の音は寂しかつた。 暖い風が私の額を洗ひ 思ひははるかに、なつかしかつた。 腰をおろすと、 浪の音がひときは聞えた。 星はなく 空は暗い綿だつた。 とほりかかつた小舟の中で 船頭がその女房に向つて何かを云つた。 ――その…

血を吐くやうな 倦《もの》うさ、たゆけさ 今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り 睡るがやうな悲しさに、み空をとほく 血を吐くやうな倦うさ、たゆけさ 空は燃え、畑はつづき 雲浮び、眩《まぶ》しく光り 今日の日も陽は炎《も》ゆる、地は睡る 血を吐くや…

失せし希望

暗き空へと消え行きぬ わが若き日を燃えし希望は。 夏の夜の星の如くは今もなほ 遐《とお》きみ空に見え隠る、今もなほ。 暗き空へと消えゆきぬ わが若き日の夢は希望は。 今はた此処《ここ》に打伏して 獣の如くは、暗き思ひす。 そが暗き思ひいつの日 晴れ…

木陰

神社の鳥居が光をうけて 楡《にれ》の葉が小さく揺すれる 夏の昼の青々した木陰は 私の後悔を宥《なだ》めてくれる 暗い後悔 いつでも附纏ふ後悔 馬鹿々々しい破笑にみちた私の過去は やがて涙つぽい晦暝《かいめい》となり やがて根強い疲労となつた かくて…

寒い夜の自我像

きらびやかでもないけれど この一本の手綱をはなさず この陰暗の地域を過ぎる! その志明らかなれば 冬の夜を我は嘆かず 人々の憔懆《しようそう》のみの愁《かな》しみや 憧れに引廻される女等の鼻唄を わが瑣細《ささい》なる罰と感じ そが、わが皮膚を刺…

妹よ

夜、うつくしい魂は涕《な》いて、 ――かの女こそ正当《あたりき》なのに―― 夜、うつくしい魂は涕いて、 もう死んだつていいよう……といふのであつた。 湿つた野原の黒い土、短い草の上を 夜風は吹いて、 死んだつていいよう、死んだつていいよう、と、 うつく…

わが喫煙

おまへのその、白い二本の脛《あし》が、 夕暮、港の町の寒い夕暮、 によきによきと、ペエヴの上を歩むのだ。 店々に灯がついて、灯がついて、 私がそれをみながら歩いてゐると、 おまへが声をかけるのだ、 どつかにはひつて憩《やす》みませうよと。 そこで…

盲目の秋

Ⅰ 風が立ち、浪が騒ぎ、 無限の前に腕を振る。 その間《かん》、小さな紅《くれなゐ》の花が見えはするが、 それもやがては潰れてしまふ。 風が立ち、浪が騒ぎ、 無限のまへに腕を振る。 もう永遠に帰らないことを思つて 酷白《こくはく》な嘆息するのも幾た…

少年時

黝《あをぐろ》い石に夏の日が照りつけ、 庭の地面が、朱色に睡つてゐた。 地平の果に蒸気が立つて、 世の亡ぶ、兆《きざし》のやうだつた。 麦田には風が低く打ち、 おぼろで、灰色だつた。 翔《と》びゆく雲の落とす影のやうに、 田の面《も》を過ぎる、昔…

少年時

宿酔

朝、鈍い日が照つてて 風がある。 千の天使が バスケットボールする。 私は目をつむる、 かなしい酔ひだ。 もう不用になつたストーヴが 白つぽく銹《さ》びてゐる。 朝、鈍い日が照つてて 風がある。 千の天使が バスケットボールする。 目次に戻る

秋の夜空

これはまあ、おにぎはしい、 みんなてんでなことをいふ それでもつれぬみやびさよ いづれ揃つて夫人たち。 下界は秋の夜といふに 上天界のにぎはしさ。 すべすべしてゐる床《ゆか》の上、 金のカンテラ点《つ》いてゐる。 小さな頭、長い裳裾《すそ》、 椅子…

春の思ひ出

摘み溜めしれんげの華を 夕餉《ゆふげ》に帰る時刻となれば 立迷ふ春の暮靄《ぼあい》の 土の上《へ》に叩きつけ いまひとたびは未練で眺め さりげなく手を拍きつつ 路の上《へ》を走りてくれば (暮れのこる空よ!) わが家へと入りてみれば なごやかにうち…

ためいき

河上徹太郎に ためいきは夜の沼にゆき、 瘴気《しようき》の中で瞬きをするであらう。 その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。 木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。 夜が明けたら地平線に、窓が開《あ》くだらう。 …