お知らせとお礼

政宗像


4月から東京へ転勤のため、埼玉県に引っ越すことになりました。仙台には、9年間と長期間住み続けましたが、緑に囲まれた美しい街でした。駅前から自転車で走れば、30分程で田畑の広がる田園地帯に入り、そこからは話にも書いた太白山の姿もくっきりと望め、人に親しみやすい雑木林などの森が広がっています。山の頂上から眺める風景は、祖父の住む福島とも違う、山から海へと開ける開放的な平野の美しさでした。
東京へ行くと言えば、何か良かった風に言われるのですが、私は希望して地方に就職しています。私は幼年時代は東京に住んでいましたが、そんな当時から、自然の中で過ごすのが好きで、何かするというよりも、そんな風の中でたたずんでいるのが好きでした。東京ではそういう場所は公園ぐらいしかありませんでしたが、田舎の福島ではそういった場所が広がっていることを知り、人と言うのはなんと惨めに建物ばかり集めて暮らしているんだろうと当時から思っていました。仙台に来たのも、東京にいるのが嫌になったから家出して来ました。仙台というのも中途半端なのですが、自分は文明の利器の中で暮らして来たなさけない人間の一人なのです。
東京に行く話は毎年断り続けていたのですが、今年の三回目はついにだめでした。幼年時代を過ごした東京へ戻るのは非常にいやなのですが、ここ2年間色々もがいては見たものの、雇われて働いている仕事以外の事で思うように成果が上がらず、しかたなく従うと事にしました。私の東京の人のイメージと言うのは、生気の無い影です。分かり易く例えると、「千と千尋の神隠し」の最後の方で、千尋がハクを助けに電車に乗って出かけていくのですが、その電車に乗っている影達が私の東京の人のイメージなのです。私は学生時代に、終電車に乗る機会が多かったのですが、会社から帰る車内の人は皆生気を失っていました。その姿を中学生のときからずっと見せ付けられてきました。
学生時代の私にとって、自分が重点を置く時間は放課後から始まりました。今は堂なのか分かりませんが、当時の学校というのは、課せられていることを皆同じに行っていく場所でした。だから放課後が、自分の興味を持つ事を探求して行ける時間でした。そして、子供が学校に行くなら、大人は会社に行くと言うのが、私の教えられてきた仕組みでしたから、会社から帰って来る人が生気を失っていると言うのは、私には耐え難い事に思えました。その当時から、私の中では、絶対にこういう人たちの中には入りたくは無いという、反社会的精神が深く刻み込まれていました。学校自体に重点が置かれていた人にとっては、会社自体に重点が置かれるのに何の不思議もないのかも知れませんが、私にとっては、会社は生活の糧を得るための、必要なものを得るための場所でしかありません。生きるためのとは言え、働くというのはつらいことであると考えています。
自然の中で空でも見て過ごしたいと言う人間が、なんでか東京で働く事ことになったわけです。しかし、社会の下のほうから・ビルの下の方から、狭い空を眺めるという今までとは異なる環境で詩や小説を作っていくのは、将来のためのプラスになるような気がします。また、私は消極的な人間ですから、有る程度強制的な形でなければ、それがプラスになることであっても体験したりしないでしょう。会社を辞めることはいつでも出来る事なので、とりあえず肯定的に、眺めてこようと思います。もっとも、辞めたら生活にはとても困りますがね。
仙台では、MIKKEにて、創作活動を行っている人たちに出会うことが出来て、自分もそういう事をただ考えているだけではなくて、形にしていこうという気になりました。直樹さん、かおりさんを始め、皆様の新しい作品を期待しております。私と友人が進めている絵本の制作の方は、非常にゆっくりで、生きている間に出来るかどうかわかりませんが、今後とも見守ってください。(心境を詩に「麦の風」

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ泪ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

室生犀星 小景異情 その二

大自然の中で育った様に発言していますが、幼年時は東京に住んでいました。

(2005.3.31)