飯山

 正受庵《しやうじゆあん》は普請中であつた

 屋根の上に一人の若い大工がゐあ。庵主は不在で、やがて大工は降りて来て、私を裏の宝物倉に導いた。そのあたりから、山麓の薄の穂の光るのがよく見えた。
 墓所もあつた。美しい名の童女《どうぢよ》の碑もまじつてゐた。夕風が吹いてゐた。別れぎはに、私は大工に銀貨をあたへた、大工はあわてておしもどした。
 ――わしなどに庵主さんにおあげなして
 私は磴《いしだん》をおりながら振りかえつた。あの若い大工は、恰度《ちやうど》、背中に夕日をうけて、いそがしさうに、また梯子を登つて行つた。
 北国造りの屋根がどこまでも続いてゐた。道で逢ふ女の顔が木彫のやうで哀しかつた。

 黄昏は色濃かつた。「安田の渡し」に着いた。そのあたりで、川面にめがけて、低く、鴉の群が飛翔した、ある雲は低迷してゐた。もうあの冷たいものを孕《はら》んでゐるやうにも見えた。さすがに、川波はうすく紅《べに》を溶かしてゐた。紅《べに》は消えるとみせて、また、静かに流れてゐた。
 ふと、私の胸をつくものがあつた。いろいろの想いがあつて、だがそれはまるで私にはかかはりのない一つの運命のやうにも思へたが。
 川の彼方、寺の多い町は、もう雪除けの窓も火見櫓《ひのみやぐら》もさだかではなかつた。岸の駅にちかく、小旗《こはた》をもつた小学生と母親に行き逢つた。それきり、私はもう誰にも逢はなかつた。

目次に戻る