コスモスと猫

コスモス花壇

冬の近づく街並み

ワイシャツ一枚で外を歩くと腕の辺りに冷たさ感じるようになりました。何回も洗濯されて薄くなったワイシャツの袖からは、風で息づいた紅い肌が透けて見えてきます。交差点を渡っていく人は足早に、それは寒くなったから急いでいるのかもとからそういうふうだったのか分かりませんが、颯爽と過ぎていきます。
街の木々も冬が近づいてくるにつれて、それぞれの模様を変え始めています。街路樹のプラタナスは依然として多くの葉を茂らせていますが、葉の表は蝕まれたように色が落ちてかすれ、葉の裏面だけが色を変えずに残っているようです。上空に向かう風が木々に向かって吹き付けると、葉が上に向かって反り返り、一瞬だけ春の様な街並みを見せるときがあります。
私はそういった季節がやってきても、いつものように日比谷公園を散歩していますが、この頃は公園で食事を取る人や食後の散歩を行う人の数は減り、乾いた路面を過ぎていく枯葉の音がしみじみと聞こえてくるようになりました。夏場あんなに元気だったホームレスの人達も、陽気にギターを手にして歌っていたりはしません。みなそれぞれ荒れた手をおさめ、日の当たる場所にぬくもりを求めているようです。

公園のコスモス花壇

私もそういった日向を求め、ニレ広場のベンチに腰を下ろしました。花壇にはコスモスの花が咲いています。少しの風でも揺れてしまう細い茎で身体を支え、ピンクや桃色、白色の花を誰かに見て欲しいと言わんばかりに、更に細い首でお日様の方を向いています。
コスモスの花の周りには、しじみ貝の様な水色と灰色の混じった柄の小さい蝶が数匹ヒラヒラと飛んでいます。背の低いロゼット状の草にとまったり、コスモスの茎の間を通り抜けていったりと、冬が近づいているのに春のような優しさです。この中をヒラヒラと飛んでいきたい、そう思いながら蝶を眺めていると、そういった私の心を見透かしたように猫がコスモス花壇の奥の方から歩いてきました

コスモスと猫

日比谷公園には何匹もの猫が住んでいます。その猫は白と黒のまだらな毛の猫でしたが、何匹か同じ色合いの猫がいるのでなかなか一匹一匹の名前を区別することはできません。
コスモスの葉は海草のような形をしています。水の中でこそ立っていられる海草は、大きな流れに寄り添いながら、ゆらゆらと揺れています。猫はその水中のようなコスモスの茎の間を、流されることなく柔らかい肉球で花壇の土を踏み歩いていきます。人から逃げる時はあんなに機敏に去ってしまう猫も、花の中での動きは大変ゆっくりで、斜め前に出す足は水中を漕いでいるようです。猫の体が茎に当たると、その揺れを水が吸収するようにコスモスは優雅に左右に揺れながらその身を元に戻します。
時々、猫は歩くのを止めて首から上のほうでコスモスを眺めたり、手で星を取るように空中を掻いたりしています。猫も蝶のようにこの甘い花に引かれたのでしょうか、或いは私のように海中のコスモス花壇の中を歩くことを求めたのでしょうか。
上にはピンクや桃色の咲いていて、その花は自分が歩く度に少しずつ揺れます。どんなに背を伸ばしても自分の背では花に届かないけれど、口をほおばって手で空を掻いてしまうのです。
そういった猫或いは自分を想像しているだけで、鼻の下から口、そして頬にかけてがなんだかむずむずしてきて、口の上の少しざらざらした辺りから横にピンとした毛が生えてくる気がします。猫があんな顔をしているのはひょっとしたら、花や空が好きだからかもしれません。


(2005.11.18)