宮沢賢治について

  • 岩手県花巻市の生まれの宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「雨にも負けず」など、たくさんの童話や詩を作りました。その中で編まれている内容は、岩手県の文化・風土、地質学を中心とした自然科学、農村コミュニティへの夢、日蓮宗への信仰と多岐多様に渡っています。作品を呼んだ人は、その不思議な魅力に必ずひきつけられるのではないでしょうか。
  • 話の中には不思議な現象が数多く登場し、それらが独特のリズムで語られます。「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」(やまなし)、「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ どっどど どどうど どどうど どどう」(風の又三郎)、「ガタンコガタンコ、シュウフッフッ」「ゴゴンゴーゴー」(シグナルとシグナレス)など、私達が普段聞いている機械的な音も、表情を持って動き出し、すべての物が語り始めます。
  • 賢治はこれらの創作について、注文の多い料理店の序文で「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらつてきたのです。」と語り、森や線路が語りだしてくる不思議な世界イーハトーブへと誘いました。そこは理想郷としての岩手県であると「イーハトウ゛は一つの地名である。〜ドリームランドとしての日本岩手県である」(注文の多い料理店 広告チラシ)示され、今も多くの人達を花巻へと誘っています。
  • 花巻の地で賢治は、花巻農学校の教師として自分の知識・思想を若者に教え、また自ら社会変革者として羅須地人協会を設立し、農村コミュニティづくりへと邁進、土壌の改良から演劇や音楽などの文化活動まで行いました。
  • そこで賢治を駆り立てていたものは、「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」(銀河鉄道の夜)、「最後の一人はどうしても逃げられない 〜 私にそれをやらしてください 〜 私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから。」(グスコーブドリの伝記)というみんなのほんとうの幸いを求めた魂であり、その態度は「慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 〜 ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」(雨にも負けず)という、誠実無比の生き方であったと考えます。
  • そういう者に私もなりたい。