紹介

このサイトについて

詩の紹介を行っているサイトです。 大正時代から昭和初期にかけて、四季派の詩人を中心に、詩人の紹介及びその詩の掲載を行っています。 先達の詩人達はその心身を世界に証し、自身の心臓を掴んで紙の上に言葉を残していきました。青い果実をもぎ取り、土の…

津村信夫について

津村信夫は明治42年、神戸市葺合区に生まれる。良家の次男として育った信夫は、神戸一中、慶應義塾大学の経済学部と進みサラリーマンとなるが、まもなく辞めて文学の道へと入った。信夫の詩は、信濃の自然の叙情詩と、父や姉との対話の詩が主である。自然…

八木重吉について

八木重吉は明治31年、東京都南多摩郡堺村(現町田市)で農業を営む八木家の次男として生まれる。高師時代に教会に足を運び洗礼を受け、熱心なキリスト教信者となる。校内の詩の会にも出席しこの頃詩を書き始めたとされている。高師最後の年には人生の伴侶…

石川啄木について

石川啄木は明治19年(1886年)岩手県日戸村(現玉山村)に住職の息子として生まれた。中学時代から短歌に親しみ、19歳で上京し、詩壇の先輩達と交わることで詩作の道が開け、詩集「あこがれ」を出版することでいち早く詩人として注目された。しかし…

宮沢賢治について

岩手県花巻市の生まれの宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「雨にも負けず」など、たくさんの童話や詩を作りました。その中で編まれている内容は、岩手県の文化・風土、地質学を中心とした自然科学、農村コミュニティへの夢、日蓮宗への信仰と…

室生犀星について

「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」と、誰でも知っているフレーズの詩を書いたひとが室生犀星氏である。室生さんは金沢生まれで、早くから親元からお寺に預けられ、13歳で地元の裁判所の給士として働き、21歳で上京し働きながら…

萩原朔太郎について

萩原さんの学生時代の経歴を見ると、入学したり退学したりを繰り返し、病気のためとはいえ不思議な学歴である。もちろん明治時代と今では大学の位置づけが異なり、誰でも入れるものではなく、よほど頭がよく、その上経済的に恵まれていなければ入れない時代…

中原中也について

中原さんの詩を詠むと、鬼気迫る大地への雄叫びと諦めと、氷のナイフで切り裂くような繊細な悲しみに触れることになる。前者は主に少年の頃を詠んだ詩であり、後者は青年の頃を読んだ詩が多い。 少年時代中原さんは、日清・日露戦争・第一次世界大戦が勃発す…

高村光太郎について

高村さんの詩は、学校の教科書で何篇か取り上げられいるはずであるがるが、学生時代にはあまり心打たれず、教科書外の詩を読むことはなかった。「千恵子抄」の中から「千鳥と遊ぶ千恵子」など2・3篇だったと思う。 改めて読み返すきっかけになったのは、「…

立原道造について

人はもっとゆたかに暮らしを営んでいくことができる。立原さんの詩を読み返して、ふとそのようなことを考えた。立原さんは建築家であり堀辰雄などの作家や詩人達の集まるコロニーであった軽井沢の追分村に「浅間山麓に位する芸術家コロニーの建築群」の構想…