立原道造について

  • 人はもっとゆたかに暮らしを営んでいくことができる。立原さんの詩を読み返して、ふとそのようなことを考えた。立原さんは建築家であり堀辰雄などの作家や詩人達の集まるコロニーであった軽井沢の追分村に「浅間山麓に位する芸術家コロニーの建築群」の構想を考えた人物である。しかし、その建築群は姿を現すことはなく、建築家として東京の事務所に勤めていた。夢のようなノスタルジーを感じさせる詩の背景には、現実との葛藤もあるのではないかと考える。
  • 東京という町は美しくない、私はそう考える。東京で幼年時代を過ごした私は本当にそこが好きではなかった。それは、年を経るごとに酷くなっているような気がする。人口の過度に密集した場所で、情報を流すために出来事を起こす必要があるようにして人が過ごしている。
  • 立原達の過ごした時代から50年以上過ぎた今でも、当時と人の暮らしに対する心は変わらないはずである。物質的な豊かさがすべてではない。人は、自分が惹かれるものの近くにいる事ができるのが一番の幸せであろう。そして、そのようなところで、気の会う友人と夢を語り合ったり、生み出された芸術を評価し会ったり、大地の恵みを食べたりするのが、豊かな暮らしといえるのではなかろうか。
  • ふと近くの山に登ってみる。薄っすらと白ずんだ青空が広がる。その先には、私達が共ににいる事ができる、共同のコロニーを夢見る。立原さんの詩を詠むと自分の淡い理想が風に揺れて囁きかける気がする。