室生犀星

健康の都市

君が詩集の終わりに 大正2年の春もおしまいのころ、私は未知の友から一通の手紙をもらった。私が当時雑誌ザムボアに出した小景異情という小曲風な詩について、今の詩壇では見ることのできない純な真実なものである。これから君はこの道を行かれるように祈る…

室生犀星の購入可能な詩集等

文庫本 抒情小曲集・愛の詩集 (講談社文芸文庫)作者: 室生犀星出版社/メーカー: 講談社発売日: 1995/11メディア: 文庫 クリック: 5回この商品を含むブログ (1件) を見る愛の詩集―室生犀星詩集 (角川文庫)作者: 室生犀星出版社/メーカー: 角川書店発売日: 199…

 紹介 年譜 書籍

老いたるえびのうた 犀川の岸辺 砂丘の上 桜咲くところ 小景異情 自分の生い立ち 砂山の雨 並木町 何故詩を書かなければならないか 平原 はる 都にのぼりて 室生犀星氏 雪くる前 よく見るゆめ

何故詩を書かなければならないか

自分は何故《なにゆゑ》詩を書かずに居られないか いつも高い昂奮《かうふん》から 詩を思はずに居られないか 自分を救ひ 自分を慰め よい人間を一人でも味方にするためか 詩を書いてゐると 餓死《がし》しなければならない日本 この日本に 新しい仕事をする…

よく見るゆめ

僕は気がつくと裸《はだか》で ひるま街を歩いてゐたのであつた こんなことはあるべき筈《はず》ではないと 手をやつて見ると何も着てゐない 何といふ恥かしいことだ 僕は何か着るものがないかと 往来《わうらい》を見まはしたけれど ボロ切《ぎ》れ一つ落ち…

自分の生い立ち

僕はあるところに勤めてゐた 僕は百人の人人と 朝ごとの茶をのんだ 僕は色の白い少年であつた みんな頬《ほほ》の紅《あか》い僕を愛した 僕は冬も夏も働きつづめた そのころ僕は本を読んだ 僕の忍耐は爆発した 僕は勤めさきを飛び出した 父も母ももう死んで…

犀川の岸辺

茫《ぼう》とした 広い磧《かはら》は赤くもみいで 夜《よ》ごとに荒い霜を思はせるやうになつた 私は幾年《いくねん》ぶりかで また故郷《こきやう》に帰り来て 父や母やと寝起きをともにしてゐた 休息は早やすつかり私をつつんでゐた 私は以前にもまして犀…

砂山の雨

砂山に雨の消えゆく音 草もしんしん 海もしんしん こまやかなる夏のあもひも わが身《みな》うちにかすかなり 草にふるれば草はさあをに 雨にふるれば雨もまさをなり 砂山に埋め去るものは君が名か かひなく過ぐる夏のおもひか いそ草むらはうれひの巣 かも…

雪くる前

凍《し》みて痛めるごとく はてしなく こころ輝き 枯木《かれき》のうへにひびきを起す わが君とわかれて歩めば あらはるとなく 消ゆるとなく ふりつむ我が手の雪を ああ 君は掻《か》く

室生犀星について

「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」と、誰でも知っているフレーズの詩を書いたひとが室生犀星氏である。室生さんは金沢生まれで、早くから親元からお寺に預けられ、13歳で地元の裁判所の給士として働き、21歳で上京し働きながら…

室生犀星の年譜

明治22年 石川県金沢市裏千日町に生まれる。本名 照道。父、小畠弥左衛門、母、はる。生後まもなく、雨宝院住職室生真乗の内妻赤井ハツに貰われる。 明治29年 雨宝院住職室生真乗の養嗣子となり、以後室生性を名乗る。 明治35年 尋常高等小学校を三年…

室生犀星氏

みやこのはてはかぎりなけれど わがゆくみちはいんいんたり やつれてひたひあをかれど われはかの室生犀星なり 脳はつかれてときならぬ牡丹《ぼたん》をつづり あしもとはさだかならねど みやこの午前 杖《すてつき》をもて生けるとしはなく ねむりぐすりの…

都にのぼりて

わが手にしたたるものは孤独なり 身をみやこの熱闘のなかに置けども 深深として夜《よ》はむせべるごとし したたるものは孤独なり 窓を閉《とざ》して なにものをか見出さんとするごとく 眼《まなこ》のみいや冴えかへる

平原

起きると紙にむかふ 紙は真白《ましろ》な平原になり 平原はけふもどこまでも続く いくら歩いても 行手《ゆくて》が見えて来ない どんな旅行でも これ以上永《なが》い旅はなからう 駱駝《らくだ》も 馬も 人さへ死にはてた平原に 吹きすさぶものは風ばかり…

並木町

茫《ぼう》として うつつを綴《つづ》る 夜霧の並木町 ぬれて歩めば ひややかに身は浮きあがる 輝ける巷《ちまた》のそらに 夜の並木に ああ 都にかえり来て 再びさまよひ疲れんとするか 燃えつつそそぐ夜の霧

小景異情

その一 白魚はさびしや そのくろき瞳《め》はなんといふ なんといふしをらしさぞよ そとにひる餉《げ》をしたたむる わがよそよそしさと かなしさと ききともなやな雀《すずめ》しば啼《な》けり その二 ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふ…

桜咲くところ

私はときをり自らを懺悔《ざんげ》する 雪で輝いた山山を見れば 遠いところからくる 時間をいふものに永遠を感じる ひろびろとした眺《なが》めに対《むか》ふときも よき人の艶麗《えんれい》がにほうて来るのだ 艶麗なものに離れない 離れなければ一層苦し…

砂丘の上

渚《なぎ》には蒼《あお》き波のむれ かもめのごとくひるがへる 過ぎし日はうすあをく 海のかなたに死にうかぶ おともなく砂丘の上にうづくまり 海のかなたを恋ひぬれて ひとりただひとり はるかにおもひつかれたり

老いたるえびのうた

けふはえびのやうに悲しい 角《つの》やらひげやら とげやら一杯生やしてゐるのが どれが悲しがってゐるのか判らない。 ひげにたづねて見れば おれではないといふ。 尖《とが》つたひげに聞いて見たら わしでもないといふ。 それでは一体誰が悲しがつてゐる…

はる

おれがいつも詩を書いてゐると 永遠がやつて来て ひたひに何か知らなすつて行く 手をやつて見るけれど すこしのあとも残さない素早い奴だ おれはいつもそいつを見ようとして あせつては手を焼いてゐる 時がだんだん進んで行く おれの心にしみを遺《のこ》し…