跋文

自由詩のリズムに就て

自由詩のリズム 歴史の近い頃まで、詩に関する一般の観念はかうであつた。「詩とは言葉の拍節正しき調律即ち韻律を踏んだ文章である」と。この観念から文学に於ける二大形式、「韻文」と「散文」とが相対的に考へられて来た。最近文学史上に於ける一つの不思…

跋文

土 岐 哀 果 石川は遂に死んだ。それは明治四十五年四月十三日の午前九時三十分であつた。 その四五日前のことである。金がもう無い、歌集を出すやうにしてくれ、とのことであつた。で、すぐさま東雲堂に行つて、やつと話しがまとまつた。 うけとつた金を懐…

少年にして早う名を成すは禍なりと云へど、しら髮かきたれて身はさらぼひながら、あるかとも問はれざる生きがひなさにくらぶれば、猶、人と生れて有らまほしくはえばえしきわざなりかし。それも今様のはやりをたちが好む、ただかりそめの名聞ならば爪弾《ツ…

健康の都市

君が詩集の終わりに 大正2年の春もおしまいのころ、私は未知の友から一通の手紙をもらった。私が当時雑誌ザムボアに出した小景異情という小曲風な詩について、今の詩壇では見ることのできない純な真実なものである。これから君はこの道を行かれるように祈る…

著者として――

こゝにあつめたこれらの詩はすべて人間畜生の自然な赤裸裸なものである。それ以外のなんでもない。これらの詩にいくらかでも価値があるなら、それでよし、また無いとてもそれまでだ。 自分が詩人としての道をたどりはじめたのは、ふりかへつて見るともうずゐ…

夏草の後にしるす

保福寺峠鳥居峠を越えて木曾に入りしはこの夏七月の中旬なりき。福島の高瀬氏はわが姉の稼ぎたるところにて、家は木曾川のほとりなる小丘に倚りて立てり。門を出でゝ見れば大江滔々として流る。われこの家にありて、峨々たる高山の壮観に接し、淙々たる谿谷…

あとがき

梢にまだいくつか実を残した信濃の柿の木を、私は車窓からよく眺めた。そんな田舎の小都会の、静かな茶卓のほとりの夜も沁々と味はつた。或るときは、千曲の流れが、全く大河のゆつたりとした姿で、私の眼前にあつた。暮れそめてから、流れを渡り、寺の多い…

あとがき

「父のゐる庭」は私の二つ目の詩集である。 書物を編むことの甚だ不手際な私は「愛する神の歌」を出してからこちら、ついつい七年もの長い年月を閲してしまつた。作品もその間かなりの数になつた。従つて、こんど詩集に収録するにあたつても、前後の作品に自…

後記

茲《ここ》に収めたのは、「山羊の歌」以後に発表したものの過半数である。作つたのは、最も古いのでは大正十四年のもの、最も新しいのでは昭和十二年のものがある。序《つい》でだから云ふが、「山羊の歌」には大正十三年春の作から昭和五年春迄のものを収…