自由詩のリズムに就て

      自由詩のリズム

 歴史の近い頃まで、詩に関する一般の観念はかうであつた。「詩とは言葉の拍節正しき調律即ち韻律を踏んだ文章である」と。この観念から文学に於ける二大形式、「韻文」と「散文」とが相対的に考へられて来た。最近文学史上に於ける一つの不思議は、我我の中の或る者によつて、散文で書いた詩――それは「自由詩」「無韻詩」又は「散文詩」の名で呼ばれる――が発表されたことである。この大胆にして新奇な試みは、詩に関する従来の常識を根本からくつがへしてしまつた。詩に就いて、世界は新らしい概念を構成せねばならぬ。
 勿論、そこでは多くの議論と宿題とが予期される。我我の詩の新しき概念は、それが構成され得る前に、先づ以て十分に吟味せねばならぬ。果して自由詩は「詩」であるかどうか。今日一派の有力なる詩論は、毅然として「自由詩は詩に非ず」と主張してゐる。彼等の哲学は言ふ。「散文で書いたもの」は、それ自ら既に散文ではないか。散文であつて、同時にまたそれが詩であるといふのは矛盾である。散文詩又は無韻詩の名は、言語それ自身の中に矛盾を含んで居る。かやうな概念は成立し得ない。元来、詩の詩たる所以――よつて以てそれが散文から類別される所以――は、主として全く韻律の有無にある。韻律を離れて尚詩有りと考ふるは一つの妄想である。けだし韻律《リズム》と詩との関係は、詩の起原に於てさへ明白ではないか。世界の人文史上に於て、原始民族の詩はすべて明白に規則正しき拍節を踏んでゐる。言語発生以前、彼等は韻律によつて相互の意志を交換した。韻律は、その「規則正しき拍節の形式」によつて我等の美感を高翔させる。詩の母音は此所から生れた。見よ、詩の本然性はどこにあるか。原始の純樸なる自然的歌謡――牧歌や、俚謡や、情歌や――の中に、一つとして無韻詩や自由詩の類が有るか。
 我我の子供は、我我の中での原始人である。彼等の生活はすベて本然と自然とにしたがつて居る。されば子供たちは如何に歌ふか。彼等の無邪気な即興詩をみよ。子供等の詩的発想は、常に必ず一定の拍節正しき韻律の形式で歌はれる。自然の状態に於て、子供等の作る詩に自由詩はない
 そもそも如何にして韻律《リズム》がこの世に生れたか。何故に詩が、韻律《リズム》と密接不離の関係にあるか。何故に我等が――特に我等の子供たちが――韻律《リズム》の心像を離れて詩を考へ得ないか。すべて此等の理窟はどうでも好い。ただ我等の知る限り、此所に示されたる事実は前述の如き者である。詩の発想は、本然的に音楽の拍節と一致する。そして恐らく、そこに人間の美的本能の唯一な傾向が語られてあるだらう。宇宙の真理はかうである。「原始《はじめ》に韻律があり後に言葉がある。」この故に、韻律を離れて詩があり得ない。自由詩とは何ぞや、無韻詩とは何ぞや、不定形律の詩とは何ぞや。韻律の定まれる拍節を破却すれば、そは即ち無韻の散文である。何で此等を「詩」と呼ぶことができようぞ。
 かくの如きものは、自由詩に対する最も手強《てごは》い拒絶である。けれどもその論旨の一部は、単なる言語上の空理を争ふにすぎない。そもそも自由詩が「散文で書いたもの」である故に、同時にそれが詩であり得ないといふ如き理窟は、理窟それ自身の詭弁的興味を除いて、何の実際的根拠も現在しない。なぜといつて我等の知る如く、実際「散文で書いたもの」が、しばしば十分に詩としての魅惑をあたへるから。そしていやしくも詩としての魅惑をあたへるものは、それ自ら詩と呼んで差支へないであらう。もし我等にして、尚この上この点に関して争ふならば、そは全く「詩」といふ言葉の文字を論議するにすぎない。暫らく我等をして、かかる概念上の空論を避けしめよ。今、我等の正に反省すべき論旨は別にある。
 しばしば浅薄な思想は言ふ。「自由詩は韻律の形式に拘束されない。故に自由であり、自然である。」と。この程度の稚気は一笑に価する。反対に、自由詩に対する非難の根柢は、それが詩として不自然な表現であるといふ一事にある。この論旨のために、我我の反対者が提出した前述の引例は、すべて皆真実である。実際、上古の純樸な自然詩や、人間情緒の純真な発露である多くの民謡俗歌の類は、すべて皆一定の拍節正しき格調を以て歌はれて居る。人間本然の純樸な詩的発想は、帰せずして拍節の形式と一致して居る。不定形律の詩は決して本然の状態に見出せない。ばかりでなく、我我自身の場合を顧みてもさうである。我我の情緒が昂進して、何かの強い詩的感動に打たれる時、自然我我の言葉には抑揚がついてくる。そしてこの抑揚は、心理的必然の傾向として、常に音楽的拍節の快美な進行と一致する故に、知らず知らず一定の韻律がそこに形成されてくる。一方、詩興はまたこの韻律の快感によつて刺激され、リズムと情想とは、此所に互に相待ち相助けて、いよいよ益益詩的感興の高潮せる絶頂に我等を運んで行くのである。かくて我等の言葉はいよいよ滑らかに、いよいよ口調よく、そしていよいよ無意識に「韻律の周期的なる拍節」の形式を構成して行く。思ふにかくの如き事態は、すべての原始的な詩歌の発生の起因を説明する。詩と韻律の関係は、けだし心理的にも必然の因果である如く思はれる。  然るに我等の自由詩からは、かうした詩の本然の形式が見出せない。音楽的拍節の一定の進行は、自由詩に於て全く欠けてゐる者である。ばかりでなく、自由詩は却つてその「規則正しき拍節の進行」を忌み、俗語の所謂「調子づく」や「口調のよさ」やを浅薄幼稚なものとして擯斥する。それ故に我等は、自由詩の創作に際して、しばしば不自然の抑圧を自らの情緒に加へねばならぬ。でないならば、我等の詩興は感興に乗じて高翔し、ややもすれば「韻律の甘美な誘惑」に乗せられて、不知不覚の中に「口調の好い定律詩」に変化してしまふ恐れがある。
 元来、詩の情操は、散文の情操と性質を別にする。詩を思ふ心は、一つの高翔せる浪のやうなものである。それは常に現実的実感の上位を跳躍して、高く天空に向つて押しあげる意志であり、一つの甘美にして醗酵せる情緒である。かかる種類の情操は、決して普通の散文的情操と同じでない。したがつて詩の情操は、自然また特種な詩的表現の形式を要求する。言ひ換へれば、詩の韻律形式は、詩の発想に於て最も必然自由なる自然の表現である。然り、詩は韻律の形式に於てこそ自由である。無韻律の不定形律――即ち散文形式――は、詩のために自由を許すものでなくして、却つて不自由を強ひるものである。然らば「自由詩」とは何の謂ぞ。所謂自由詩はその実「不自由詩」の謂ではないか。けだし、「散文で詩を書く」ことの不自然なのは、「韻文で小説を書く」ことの不自然なのと同じく、何人《なんぴと》にも明白な事実に属する。
 自由詩に対するかくの如き論難は、彼等が自由詩を「散文で書いたもの」と見る限りに於て正当である。そしてまた此所に彼等の誤謬の発端がある。なぜならば真実なる事実として、自由詩は決して「散文で書いたもの」でないからである。しかしながらその弁明は後に譲らう。此所では彼等の言にしたがひ、また一般の常識的観念にしたがひ、暫らくこの仮説を許しておかう。然り、一般の観念にしたがふ限り、自由詩は確かに散文で書いた「韻律のない詩」である。故にこの見識に立脚して、自由詩を不自然な表現だと罵るのは当を得て居る。我等はあへてそれに抗弁しない。よしたとへ彼等の見る如く、自由詩が真に不自然な者であるとした所で、尚且つあへて反駁すべき理由を認めない、なぜならばこの「自然的でない」といふ事実は、この場合に於て「原始的でない」を意味する。しかして文明の意義はすべての「原始的なもの」を「人文的なもの」に向上させるにある。されば大人が子供よりも、文明人が野蛮人よりも、より価値の高い人間として買はれるやうに、そのやうにまた我等の成長した叙情詩も、それが自然的でない理由によつてすら、原始の素樸な民謡や俗歌よりも高価に買はるべきではないか。けだし自由詩は、近世紀の文明が生んだ世界の最も進歩した詩形である。そして此所に自由詩の唯一の価値がある。  世界の叙情詩の歴史は、最近仏蘭西に起つた象徴主義の運動を紀元として、明白に前後の二期に区分された。前派の叙情詩と後派の叙情詩とは、殆んど本質的に異つて居る。新時代の叙情詩は、単なる「純情の素朴な詠嘆」でなく、また「観念の平面的なる叙述」でもなく、実に驚くべき複雑なる叡智的の内容と表現とを示すに至つた。(但し此所に注意すべきは、所謂「象徴詩」と「象徴主義」との別である。かつてボドレエルやマラルメによつて代表された一種の頽廃気分の詩風、即ち所謂「象徴詩」なるものは、その特色ある名称として用ゐられる限り、今日既に廃つてしまつた。しかしながら象徴主義そのものの根本哲学は今日尚依然として多くの詩派――表現派、印象派、感情派等――の主調となつて流れてゐる。自由詩形もまた此の哲学から胎出された。)
 象徴主義が唱へた第一のモツトオは、「何よりも先づ音楽へ」であつた。しかしこの標語