著者として――

 こゝにあつめたこれらの詩はすべて人間畜生の自然な赤裸裸なものである。それ以外のなんでもない。これらの詩にいくらかでも価値があるなら、それでよし、また無いとてもそれまでだ。
 自分が詩人としての道をたどりはじめたのは、ふりかへつて見るともうずゐぶん遠い彼方の日のことだ。そのをりをりの自分が想ひだされる。耽美的で熱狂的で、あるなにものかにつよくつよくひきつけられてゐた自分、それがなにものだか解らない。自分はそれに惑溺してゐた。それは美のそして中心のない世界であつた。それから自分はいつしか宗教的の侏儒《しゆじゆ》であり、中古の錬金士などのあやしい神秘に憑かれてゐた。その深刻さにおいてはすなはち象徴そのものであつたやうな自分。厳粛もそこまでゆくと遊びである。それにおそれおのゝいた自分。そして一切をかなぐりすてゝ、霊魂《たましひ》を自然にむけた。人間も自然もみんなそこでは新しかつた。かうして陶酔とものまにあとの轡《くつわ》を離れて、自分はさびしくはあつたが一本の木のやうにゆたかなる日光をあびた。それも一瞬間、運命はすぐかけよつて自分をむごたらしくも現実苦痛の谷底に蹴落したのだ
 その谷底でかゝれたのがこれらの詩章である。これらの一字一句はすべて文字通りに血みどろの中からでてきた。自分は血を吐きながら、而も詩をかくことをやめなかつた。それがこれらの詩章である。
 人間畜生の赤裸々なる! こゝまでくるには実に一朝一夕のことではなかつた。
 真実であれ。真実であることを何よりもまづ求めろ。
 暮鳥、汝のかく詩は拙《つたな》い、だがそれでい。
 けつして技巧をもてあそんではくれるな。油壷からひきだしたやうなものをかいてはならない。
 ジヨツトオの画、ミケランゼロの彫刻、あの拙さを汝はぐわんねんしてゐるのではないか。おゝ、何といふ偉大な拙さ!
 暮鳥はそれをめがけてゐる。
 あゝミケランゼロ! 人間が達しえたその最高絶頂に立つてゐる彼の製作、みよその頭に角のはへてゐるモオゼのまへではナポレオンも豆粒のやうだ。
 此の偉大はどこからきたか。自分等はそのかげにかのドナテロを見遁してはならない。真実そのものゝやうなドナテロ
          ――茨城県磯浜にて――

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底本:「山村暮鳥全集第一巻」筑摩書房(平成元年6月)
初出:「梢の巣にて」叢文閣(大正10年5月)