荘厳なる苦悩者の頌栄

     天日燦として焼くがごとし、いでて働かざる可からず
            ――ヨシノ・ヨシヤ――

神様
神様
けふといふけふこそはおもひきつて
すつかりぶちまけます
どうぞおいやでもありませうが
一通りおきゝください
神様
われわれ人間の前駆として
われわれの大遠祖《おおおや》として
あゝ此の世のあけぼのにさびしくも
あのアダムとイヴとがうまれでてから
どれほどになりませう
もうそれは
ちらりとも日光の射さない
深い深いそしてはてしない濃霧の中で
一の古いかびくさい伝説として
その真実性をすらうしなつてしまひました
その真実性をすらうしなつてしまつた事実
いまではどんなとしよりでも笑つて話しておりますが
わたしはそれが悲しいのです
神様
ようくおきゝください
アダムもイヴも
あなたの御保護をうけて
あなたの楽園では
どんなにたのしかつたことでせう
天空《そら》をとぶもの
地を這ふもの
ありとあらゆる生き物と
ありとあらゆる美しさをあつめたあなたの楽園では
どんなにたのしかつたでせう
のぞみもなく
ねがひもなく
雪もふらず
餓うれば【むしり】取る手をまつてゐる果実があり
熱くなく
寒くないから
きものもいらず
うまれたまゝの真ツ裸
そして睡くなればやはらかい草の床です
彼等はかなしいことも
くるしいことも
腹の立つことも
それこそ何一つ知りませんでしたらう
死ぬなどといふことは勿論
生きてゐることすら
それでゐて何の不足もなかつたでせう
さうでせうか
何の不足もなかつたでせうか
すべてのものは
彼等に美しかつたでせう
彼等にたのしかつたでせう
彼等に快かつたでせう
彼等をそしてよろこばせたでせう
だが神様
あゝ神様
彼等には一の欠けたものがありました
それは自由でした
神様
あなたは彼等を創造《つく》りなされた
あなたは彼等を祝福なされた
そしてその彼等に
世界《このよ》の総てのものをあたへなされた
それだのに
あなたは唯一つ
自由をだけは禁じなされた
なるほど彼等があの蛇となつてあらはれた
悪魔の言葉をきくまでは
そんなことも知らなかつたでせう
彼等はいかにも自由のやうに見えました
然しまことの自由は制限をゆるしません
彼等はその制限をやぶりました
如何にもやぶりました
それがいけないと仰言《おつしや》るのですか
それはあんまりです
あなたは「どんな果実をたべてもいゝ
けれど楽園のまん中にある木のだけはいけない」と
さうですか
それです
それです
それが悲しい動機です
それが神様
何を暗示してゐるかよくあなたは御承知の筈です
あなたは全智全能の方です
それが楽園にはかうした木もあるとそれとなく
ひそかに告げてゐるのです
そればかりではありません
あなたは彼等の一切《すべて》を知つてをられる筈です
その過去はいふまでもなく
現在もまたその未来も
それだのにあなたは彼等の為るがまゝにまかせなされた
一方で禁じておいて
他方ではゆるされてゐる
なんといふ矛盾でせう
悪はそこから生れたのです
あなたは全智全能の方です
それだのにこれはまたなんとしたことでせう
あゝたまらない
さればとてあなたにくらべては物の数でもない
弱い小さい人間です
たゞ泣き寝入るほかないのです
それはともあれ
彼等は遂にその制限をやぶりました
そしてはじめて自由でなかつたことに気づきました
けれども遅い
あなたはすぐそれと知るが速いか
かつて一ど見せたこともない
怖しいお顔をして
お眼をぎろりと光らせて
彼等を睨みつけられたでせう
彼等はそれをみると
ふるへあがつてしまひました
そしてあゝ悪かつたとおもひました
その時からです
人間の
人間の此のたましひの奥深くに
暗い影のどこからともなくさすやうになつたのは
暗い影です
罪です
罪です
罪の巣です
神様
そしてたうとう彼等はたよりなくも楽園から追出されたのです
あゝそのみじめさ
そのむごたらしさ
その眼のまへにひろがる大地は
まるで沙漠ではありませんか
生えてゐるものは荊棘《けいきよく》と薊《あざみ》ばかり
ごろごろした塊ばかり
彼等はたゞ呆然としばしは口もきけなかつたでせう
あなたはアダムに言はれました
「大地は汝のために呪はれる
汝は一生のあひだ労苦してその大地から食物を獲るのだ
汝はその大地の草を食ふのだ
汝は面に汗してそれを食ふのだ
そしてまたその大地にかへるのだ
なんとなれば
汝はその大地の塵からうまれたのだから」
それからイヴにも言はれました
「汝はくるしんで子を産むだらう
われ大に汝の懐姙《はらみ》のくるしみを増す」と
これがあなたのお言葉です
これがどんな響で彼等の耳に達したでせう
おゝ神様
彼等は荒野につゝ立つてあひかへりみたとき
たがひに奔《ほん》と抱きあつたでせう
そしてたゞ泣くより外はなかつたでせう
神様
あなたが大地の塵からつくられた人間でさへ
親はその子を愛してをります
その子のためには
われとわが生命も惜まないのです
人間の親がくるしみなげいてその世を儚なく生きるのも
全くその子のためにです
全くその子を愛するからです
それだのにあなたは
あなたはそれで何の後悔もありませんでしたか
厄介者を追払つてそれでいゝ気持だとお思ひでしたか
それにひきかへて彼等は
いつまでさうして抱きあつてめそめそしてもゐられません
覿面《てきめん》お腹が空いてくるのでした
それをなんとかしなければなりません
といつたところで食べ物はなんにもありません
どうしてもこの荒野沙漠を耕して
そこで草の葉つぱにおかれる露のやうなその生命を
そこでつながなければなりません
だがそれにしたところで
ながいながいその海草のやうにのびた髪の毛がなんになりませう
それからこれも伸びのびた手足の指のその爪
そして木の葉のきもの
武装といつても
器具といっても
これほかなんにもないのです
けれど神様
あゝわれわれの大遠祖達の
彼等はしづかにその手で涙を拭ひました
すると不思議ではありませんか
にはかにその身内に
ある噴水のやうなものが感ぜられました
たしかにさうです
それが力です
いまゝでは夢にも知らなかつたものです
力です
彼等はもうびくびくしてはをりません
さあどんなものでもくるなら来いと
彼等は気強くなりました
彼等は正気強くはなりましたが
何をいふにも
何としても
たへられないのは空腹です
彼等はたうとう手当り次第にそこらの草を噛みました
その草の葉つぱの露を舐めました
そのくるしさは楽園のたのしさがたのしさであつただけ
それだげ酷いくるしみでした
彼等は楽園のことをおもひだすとたまらなくなりました
いつさんに走り帰つて
そしてあなたに罪をわびて
ふたゝびそこであなたの御保護のもとでくらしたいと思ひました
けれどさう思つてふりかへつてみると
どうでせう
あなたの怖しい焔の剣がいつもぐるぐると旋転《まわ》つてゐるではありませんか
こんなことが幾度も幾度もくりかへされました
この度毎におもひなほしおもひなほし
だんだんその焔の剣もみむかないやうになりました
さうすると力がその上にその上に加はつてきて
そのくるしみとなげきの中に
小さな望みをまきつけました
それはほんとに種子一粒のやうな望みでした
そんなに小さくはあつたが
それは実に彼等のくるしみとなげきの凝固《かた》まつたものでした
それに喜びの光が照り
それに悲しみの雨がかゝり
それはいよいよかたく
研ぎ磨かれる宝石のやうにいよいよひかりかゞやいてきました
彼等はそれがために
どれほどその生命をそぎ削つたことでせう
而《しか》もそれがなんでせう
望みのためです
望みは彼等自身のものです
彼等自身のよろこびです
彼等自身の幸福です
彼等自身の光です
彼等はほつと息を吐《つ》きました
ですが神様
それもほんの束の間でした
みるとあなたの創りなされたものゝ中には
人間にとつてはそれこそ由々しい敵がたくさんゐました
あるものはおそろしい牙をもつてゐました
あるものは大きな角をもつてゐました
あるものは見えない刺《はり》をもつてゐました
あるものは毒をもつてゐました
あるものは底のないやうな怖しさをもつてゐました
あるものは木でもなんでも引裂いてみせました
あるものは手足の感覚をうばひました
あるものは眩暈《めくるめ》かせました
あるものは死の予感さへあたへました
まあ何と言ふことでせう
彼等はまるで生きながら地獄に陥《おと》されたやうでした
大概のものが人間の味方ではありませんでした
そこで彼等は考へました
(それは一種の閃きのやうなものでした
彼等にとつては初めてのことです
かんがへるなどといふことは)
これはなんでも抗はないがいゝ
いや抗はないのみでなく
一そすゝんで愛してやる方がいゝと
実際また愛してやるにいゝほど
それらの中にはうつくしいものがありました
柔順なものもありました
然しその大部分はこつちの思慮なんかてんで何とも感ぜず
どしどし突進してくるのです
いゝ匂ひをかぎつけた蒼蠅のやうに群集してくるのです
それが追へば逃げるやうなものではありません
逃げれば猛つて追駆けてくるし
追はれゝば追はれたで
怒り狂つてむかつてくるではありませんか
あゝ人間最初のそして大なる苦悩者
彼等はさうしてそれらを
樹の上にさけ
土窟《つちあな》の奥にさけ
また水の中にさけました
而《しか》もいたるところに於て彼等は敵にであひました
ときには衝突もしました
攻撃もしました
そして打倒し傷け殺してやつとその身をまもりました
そして幸に生きながらへたのです
くるしめばくるしむほど
力が加はり
知恵がまし
ますます彼等は強くなるばかりでした
やがて耕した大地はよい穀物をみのらせました
立木をそのまゝの柱にして
大きな樹の下かげに
彼等は家らしいものを造りました
いつしか姙胎《みごもつ》てゐたイヴは
そこでカインを産みおとしました
その時アダムはおどろいて言ひました
「あゝ自分等は神様によつてここに一人の人間を得た」と
どんなに喜んだことでせうか
それは彼等にとつては
闇夜に一つぽつちりとともる灯をみつけたやうなものでした
すこしも神様をうらんでなどはをりません
すこしでもあなたに対して不平がましいことは言つてはをりません
見上げたものです
あなたのその残忍にもひとしい聖旨《みこゝろ》にくらべて
何といふいぢらしいほどの敬虔《けいけん》でせう
だがそれはまた
何といふおほきな海のやうな心でせう
あるひは不平も怨恨《うらみ》も全然なかつたのでもなかつたでせうが
子どものうまれたよろこびで
それらはみんな流れるやうに消え去つてしまつたのかも知れません
たゞ呟言《つぶやき》一つ泄《も》らしてゐないのは事実です
神様
彼等はさうしたくるしみの中で
よせてはかへし
よせてはかへし
彼等の上にのしかゝるそのくるしみの間にあつて
どうぞおきゝください
あゝ呟言一つ泄らしませんでした

神様
神様
どうぞよくお聴きください
彼等の望みはカインをかれらの手にいだかせて
さらに何をか求めてゐました
つゞいてアベルが大きな太陽をみにでてきました
アベルは羊を牧ひました
カインは土を耕しました
二人ともその父母のやうにあなたの前に柔順でした
けれどあなたは公平を欠いでゐました
あなたはカインの供物をしりぞけて
アベルのそれだけうけられた
それはどういふ訳です
なんでそんな依怙《えこ》ひいきの事をなさつたのです
カインの腹立つたのは当然です
あなたが腹を立たせたのです
そしてカインをして
大逆非道の血をながさせたのです
あなたがアベルを殺したもおんなじです
あゝ大地は血塗られました
あゝ殺すなかれとをしふるあなたが
かうして人間に罪の歴史をかゝせるのです
かうして人間を汚すのです
かうして人間をその生けるかぎりくるしめるのです
愛するがゆゑに鞭打つのだとは
それは人間のうつくしいそしてけなげな言葉です
それはあなたのお言葉ではありません
あなたはちやうど人間のこどもらがその玩具《おもちや》とあそぶやうに
われわれ人間に対してゐられるやうです
可愛がつてゐるでせう
だがこはれるまでその手から離しはしません
必然《きつと》いつかは壊はします
而《しか》も責任なんか感じはしません
こはれたら棄てるまでゞす
涙なんか流しはしません
よし流したところで
それはおもちやを愛してゞはなく
それによつて自分自身が傷つけられたからです
あそぶ対手《あいて》がないからです
自身に腹を立てゝ
神様
彼等はつひに老ひ衰へて死にました
アダムもイヴも死にました
アベルを殺したカインも死んでしまひました
そのあとからぞろぞろ生れたものも
みんなくるしんでくるしんで
くるしみぬいて死にました
誰だつてみんな死んでしまふのです
あなたはさう人間をつくられたのです
人間がなんでせう
人間がなんでせう
よろこびもかなしみも
栄誉も努力も富も権威もそれがなんでせう
たゞ死です
酬いられるものはそれだけです
神様
まつたくあなたにはかなひません
まつたくあなたのさづけた運命どほりです
まつたく人間は惨めなものです
まつたくあなたの勝利です
だが神様
それで総てゞはありません
おきゝください
われわれはくるしみくるしんできたあひだに
いつとしもなく強くなりました
運命をすら嘲《あざけ》るほどになりました
くるしめられるのをかへつて喜ぶやうになりました
くるしむといふことによつて
一きわその体《からだ》においても霊魂《たましひ》においても強く
純くそして美しくなることをまなびました
死ぬためにうまれるやうな人間も
いまはその死すら怖れてはゐません
それは多勢の中にはよくよく意気地のない人間もあります
如何にもかれらは死を怖れます
怖れてゐるやうです
然し彼等といへども死の不可避であることは知つてゐます
だからと自暴自棄に陥入りません
ある諦認《ていにん》をもつてゐるから
事実その死に面接しても決してあわてふためくやうなことはありません
寧《むし》ろある快感にすら自己をあたへて
静に眠つてゆくのです
神様
あなたは人間に運命のその最終最悪のものとして
死をあたへられました
そしてそれがあなたの決定的な勝利です
さうです
はたしてさうでせうか
神様
それはあの鰻《うなぎ》がつるりと指と指とのあひだを滑りぬけるやうに
御覧ください
人間は精神的にひよつこりとその死のうしろに現れて
赤い舌をぺろりとだして笑ふので
それほど人間は怜悧《さか》しくなりました
われわれの大遠祖が知恵の木の実をたべたからかも知れません
それほど怜悧しくなつてゐることをどうしませう
そればかりは如何なあなたでも
あなたの全智全能をもつてしても
どうしようもありますまい
それもこれもくるしみくるしんだその経験の賜物です
あゝ此処でのみです
人間が人間らしくそれ自らの意志で生きてゐられるのは
ぶつ倒されるとも曲げない意志
曲げられるとも折れない意志
殺されるとも死なゝい意志
大地の塵でありながらその大地をも踏みつける意志
さては創造者であるあなたですら
その意志にかゝつては火に触れたやうに手を焼くでせう
詩人はきつぱりと言ひました
息絶ゆるとも否と言へ
それでこそ人間だと
けれど神様
人間がこの意志をかちうるまでに
ながした涙
ながした汗
ながした血
それはまことに普通《なみ》大抵のものではありませんでした
みんなあなた故です
知恵の木の実のことは言はないでください
食べてならないやうなものを
なぜあなたは彼等の眼の前におかれたのです
それもみれば食べたいやうに美しくして
それではまるでおとしあなでもこしらへておくやうなものです
それもわが子としての人間に対して
いやいや神様
こんなことはすべて泣き言のやうに聴こえて耳ざはりです
さて神様
すべて優秀な人間は運命にもてあそばれません
また死にも呑噬《のみこ》まれません
刃金《はがね》のやうな意志として
あなたですら尊敬しなければゐられないやうな光を射つのです
世にはあなたを信じ
あなたに頼るたくさんの人人があります
あなたを信じ
あなたに頼り
あなたを崇む
あなたをあふいでをりながら
それでゐてそれこそろくでなしの人人が少くはありません
大抵さうした人間は意気地なしです
さうかとみると
あなたのことなどは何にも知らず
また知つてゐても信ずるでもなし頼るでもなし
而《しか》も立派な人間があります
あなたは信じられたよられて
その人人に乞食のぼろのやうにぶらさがられるのがお好きですか
それとも冷淡のやうには見えても独立自尊
そして喋舌《しやべ》らず跳ねず
堂々とそれこそ静粛《しづか》におもおもしく
その自らなる天真唯一の道をゆくものがお好きですか
優秀な人間はいたづらに信頼しません
よつてたかつて騒ぐのは蛆虫です
「われに来れ
われ汝らを休息《やすま》せん」とおつしやつて御覧なさいまし
蛆虫はよろこんで群りますが
人間の中の人間はそれにお答へします
「ありがたうございます
これぐらゐのことは何でもありません
私などよりもつともつとあなたの必要な人人がをります
私にはどうぞお構ひなく」と
その人はたいそう疲れてゐるやうです
然し健気にもさう言ひます
そればかりではありません
神様
そのひとはそのときかへつて何かあなたがこまつてゐるとすれば
それを自分で代らうとさへ言ひ出すかも知れません
そのひとは神様にすら手伝はうとします
蛆虫のやうなあなたの信頼者には不可能なことです
彼等は唯、主よ主よとよばはつて
それで貴い日を暮らすのです
それで救はれるとおもつてゐるのです
てんでもう自分のことばかり
それも牡丹餅で頬つぺたを打たれるやうな幸福ばかり
それを祈りもとめてゐるのです
その周囲になげき悲しんでゐるひとびとの声が聞えないやうです
またその惨めなすがたも賭えないやうです
いや、きこえないではありません

みえないのでもありません
よくきこえてゐるのです
よくみえてゐるのです
そしてよく知つてゐるのです
ですがもう癰瘋病《ちゆうぶや》みのやうにあなたに凝固まつた彼等は
あなたを信頼して
それに満足して
それにすつかり惑溺して
もうまつたくその麻痺的悦楽に
その指一本それがために動かすのすらものういのです
それがあなたの忠実な信者です
彼等はあなたに酔つてゐるのです
あなたのためには親も子も夫婦もなんにもありません
あなたのためには自分も他人も
真理も美も理性もなんにもありません
まるで狂人《きちがひ》です
さうしたひとびとをつかまへて
「たゞ信ぜよ
信ずるものは救はれる」と
あゝそもそもの誤錯《あやまり》はそこにあるのです
あなたがそんなことを
あなたのお教へとして伝へさせなさるからいけません
一切教へてはいけません
何もをしへないでください
人間はどんなことでも自然にそれをさとります
そして終にはあなたに手伝ふまでになるのでせう
いや手伝ふのではありません
一しよに仕事をするのです
そのひとです
人間の仕事と神様の仕事とになんの差別もおかないのは
それが優秀な人間です
神様
だがそのひとは決してあなたに盲従しません
あなたをすら批判します
あなたをすら試練します
あなたが完全円満でないなら
その欠点を指摘します
あなたを自分の神様とするためにはほくろ一つほどのことも
そのまゝには見逃しません
而《しか》もそのひとは自分が大地の塵であることを知つてゐます
そのひとの謙譲には底がありません
そのひとは人間の知識を天空《そら》の星の一つともおもつてはゐません
それでゐて
そのひとは自分を棄てません
これを優秀な人間といひます
間違つてゐませうか
そのひととは私の事です

神様
私はあなたを認識します
私はあなたを体験します
けれど私はあなたにたよりはしません
多くのものはあなたを認識しません
また体験もしません
唯、頼るのです
唯、頼るばかりです
たよつてそしてその応顕を求めるのです
もとめてそして得られないと
失望してつぶやくのです
つぶやきながらも尚も求めるのです
然しそれでも得られないと
そこであなたをうらんで憎んで棄てるのです
無神論者といふのがあります
卑しい利我的な慾望の孵へつたものです
みかけはいかにも寂静で
淡然としてゐるやうだがそれは欺いてゐます
とにかくたよるからいけないのでせう
たよつて何になりませう
人間のそのときどきに変る天気模様のやうな願望のために
厳然たる宇宙の法則がまげられますか
一体、宇宙は人間のためにあるのでせうか
それとも人間がかへつて宇宙のためにあるのでせうか
また願望は法則のためですか
法則が願望のためなんですか
私は宇宙の法則といひました
それはあなたの聖旨《みこゝろ》といつてもおなじことです
また万人は万様のこゝろをもつてゐます
したがつて万様の生活をします
その願望も万様です
傘商《からかさや》には雨の日がよく
染物屋には天気がいゝのです
如何にも万人一様の願望はあります
けれどそれはあなたにたよるものゝ願望ではありません
あなたにたよるひとはあなたを体認してゐるやうで
実はさうでありません
真にあなたを体認してゐるひとは決してあなたにたよりません
真にあなたを体認してゐるひとは万人共通のこゝろを持つてをります
私はあなたにたよりません
あなたは人間のたよるべきものではありますまい
神様
私はくりかへして言ひます
私はあなたにたよりません
私はあなたを体認します
此の体認がすなはち私の信仰です
此の信仰は懐疑的です
此の信仰が深くなればなるほど懐疑がそれだけ大きくなります
懐疑は勇敢です
懐疑は真実です
懐疑は火花をちらします
懐疑は悲痛です
懐疑はより大きな信仰をもたうとするものゝとほらねばならぬ道です
私はあなたを体認します
あなたに対する私の体認はむしろ反抗的です
あなたは私の敵です
敵といふ言葉が穏かでないとすれば対象と言ひませう
あなたは私の対象です
あなたは人間の対象です
あなたなしに私は一日たりとも生きてはをられません
あなたはわれわれの理想です
願くば無限に大きな理想であれ
神様
われわれはあなたを理想として見ます
どういふものでせう
一つの癖です
ところが実際のあなたは
われわれ人間ですらが顔面《かほ》をそむけるやうなことを平気でなさるのです
われわれ人間ですらと言つたのは
開闢《かいびやく》以来くるしめくるしめられてきた間に
いつとなく
その手にしつかりと掴んだ悪です
われわれは悪い人間です
いかにも悪い人間です
あなたの罪の子です
けれどそしてほそくはあるが良心とやらいふ一とすぢのうつくしい煙を
猶おのおのゝその燻香の壷から立てゝゐます
われわれは恥を知つてゐる
あなたにはそれがありません
あなたの御業はすべて神聖でそして慈悲深いやうに誰もおもひます
さうでせうか
それはあなたの御相《おすがた》も時代によつていろいろと
それこそ猫の眼玉のやうに変転して
いつもおんなじではありませんでしたが
それにしてもなかなかわれわれの理想とすることのできない
そんなことをなさることがたびたびありました
楽園追放のことはいひました
創世第一の人殺しのこともいひました
それからさまざまのことがありました
そのなかでもあなたが悪魔もしないやうなことをなされたのは
バベルの塔のことです
その場合のあなたはまるで賽の河原の鬼です
それが生めよ殖えよ地にみちみてよと
祝福なされてゐるあなたの人間に対する御業です
それからノアの大洪水です
凡《およ》そ世にざんにんといつてもぼうぎやくといっても
これほどのことがありませうか
言葉以上のことです
感情以上のことです
人間あつて以来の
それこそ人間にとつては言語に絶した大凶禍でした
二どとないことです
それともあなたは気まぐれですから
そのお腹《なか》の虫のゐかげんで
どんなことをやりだしなさるかも知れません
だが神様
人間はもうくりかへしくりかへし酷い目にばかりあつてゐるので
善い経験をしてをります
それで強くなつてをります
あなたのくだす天の災害にあつても
もうぴよこぴよこと頭をば地べたにすりつけぬほどになりました
それはさて
ひとびとのこゝろがあなたを慕ふよりは
各々飲み食ひめとりとつぎなどしてたのしむやうになつたといふ理由で
あなたは腹を立て
あなたのすきなノアの一家族をのぞいての外はことごとく
彼等を水に溺らしてしまひなされた
大逆殺です
人間界に於てならその一人を殺しても
それは不倶戴天の罪悪なのです
相助けるに術《すべ》もなく
相呼びかはし
相擁き
一すぢの髪の毛ほどのものにすら
すがりすがつて生き存らへようとした彼等の
その悲鳴をあなたは
小気味よくおきゝなされてか
あなたは神様です
なんでもできます
なんでもしようとおもへばできるだけそれだけ
あなたの御眼からみるならば人間が一ぴきの蟻をみるそれほどでもなからうものを
まことに憐憫《あはれみ》の無いなされかたです
われわれは馬鹿な子ほど可愛いといひます
もつともです
馬鹿なもんだから
馬鹿でないものより一層愛されなければならないのです
それがあなたになると
なんでもかんでも運命的です
あなたに嫌はれたが最後です
あなたはいかにも正しいやうです
正義の神様のやうです
正義のためには愛もなさけもないやうです
あゝ正義
善を善とし悪を悪とする秋霜烈日《しゆうそうれつじつ》のやうな威厳
ひきぬかれた刃のやうな精神
それはいゝ
けれどあなたの正義はあてにならない
あなたは神様です
だからあなたにあてる尺度はない
あなたは自ら尺度とならねばならない
だがあなたの気まぐれを尺度としたら此の世界《よ》は闇です
これでもどうかかうかやつてゐるといふのも
全くわれわれ自らの生活にあてはめて
その最も善美とするところを
われわれ自らの意志でつくりあげたその道徳によつてゞす
あなたによつてゞはありません
あなたは道徳圏外の存在者です
われわれの中には道徳はあなたからきたといふものもありますが
それは空想です
その兄の家督権を巧妙な詐欺によつて横取りした
あのヤコブを愛し保護して
あの大家族の家長としたほどのあなたではありませんか
何が摂理です
摂理とはあなたの気まぐれのことですか
まつたくあなたの御心は解らない

あゝ此の世のあけぼのにさびしくも
あのアダムとイヴがうまれでてから
どれほどになりませう
神様
千年万年もあなたにはたゞの一瞬のことでせうが
われわれ人間の一生としては勿論
それはとても信じられないほどの距離をもつた長時間です
その間において人間にはさまざまのことがありました
人間は絶えずくるしめられくるしめられてきました
みんなあなたの御掌《おんて》の中にあつてのことです
そしてかなり悪くなりました
人間は悪くなりました
けれど強くなりました
強くなりました
あなたに憎まれ
あなたのくだした運命にもてあそばれて
くるしんでゐるものを見れば
それがあなたであらうが何であらうが
自分自身もまつたくわすれて
用捨なく
逡巡なく
ふるひたちます
切歯《はがみ》します
髪毛をもつて天を衝きます
その天をにらみつけます
その天をずり落さうと腕を鳴らして大地を踏みます
神様
あなたはわれわれの大遠祖を楽園から追ひだしなされた
さてこんどはわれわれ人間はこのにんげんの世界から
あなたを追放する時です
あなたはそれほど深い怨恨をわれわれの胸に醸しました
もうわれわれは騙されません
われわれ人間がこんな怖しい企図をもつたといふのも
みんなあなたの御業ゆゑです
こんなに人間は悪くなりました
いまではこれが天性です
あなたの御業の影響から自《おのづか》らうまれでたものです
こればつかりで生きて行かれる
人間にとつてこれは貴い崇高《けだか》い力です
神様
人間は自主です
もうあなたの奴隷ではありません
此の貴い崇高い力のうへに立つた人間
御覧ください
この人間のかゞやかしさを
光りかゞやく人間を
まるで神様です
あなたのやうです
さうです
人間はだれもかれもあなたにかはつてみな神様であるべきです
各自は各自の神様であるべきです
あなたは人間最初の男女を塵からつくりなさる時
それをあなたの御像《おすがた》に似せられたといふことですが
似せられたものがいまはほんものになる時です
われわれは自主です
もはや一たび自覚したものです
どうしてまたその檻舎《こや》ほどの意味しかもたない
あなたの楽園にさもしくも豚のやうにかへられませうか
もうかまはないでいたゞきます
指一つ触れてもくださいませんやうに
これが人間のおねがひです
われわれ人間はもうあなたにかへるべきではありません
それをよく知りました
あなたは人間のたよるべきものではありません
まだその迷宮の闇にゐて
真実なひかりの世界へ望みの糸をみつけないものもありますが
時はもう近づきました
やがてそのひとびとも知るでせう
何物もたよつてはならない
何物もたよれない
何物にもたよられてもならぬと
すべて自然であれ
たよることでない
たよられることでない
たよらうがたよるまいが真理はやはり真理であります
理想としてのあなたもさうでなければなりますまい
だがわたしにはあなたのお心はわからない
神様
あなたは一体どんなお心です
気まぐれかとおもへば正しいこともあり
正しいかとおもへばとんでもないことをしでかしなさる
ほんとにわかりません
愛されてゐるのか
憎まれてゐるのか
めぐまれてゐるのか
鞭打たれてゐるのか
さらに人間はあなたの真の子なのか
それとも全然塵の塊りなのか
まつたくわからない
わかつたつてどうならう
事実は事実です
現在《いま》は現在です
過去は一点一画のあやまりもなくその通りですし
未来もちやんとなるやうにしきやなりはしません
実に公明です
秋の天空のやうにはつきりとしてゐます
だがあなたのお心ばかりはどうしてもわからない
それもさうだが
神様
あなたは全体何者ですか
おどろかないでいたゞきます
早晩こんな質問は当然あなたにむかつて発せらるべきでした
何とお答へになりますか
それとも永遠の沈黙で有耶無耶《うやむや》のうちに葬り去つてしまはうとなさりますか
その手にはかゝりません
そんなことでおとなしく引込んでゐるやうな人間ではなくなりました
何とか言つてください
耳がありませんか
眼がありませんか
口がありませんか
あなたは何です
形体《かたち》のあるものですか
それとも観念ですか
実在ですか
空想の所産ですか
あなたは何です
何かであるはずです
力ですか
生命ですか
有ですか
無ですが
なんでもいゝ
なんでもいゝ
それが何だつてわれわれ人間はかまひません
どうにもならないからです
あなたの有無が何です
あなたが有らうが無からうが人間は人間です
その人間はくるしんできました
そして悪くなりました
けれど強くなりました
その上、あの原人アダムとイヴとが
一鍬一鍬とあら荒野《あらの》の土をたがやしたやうに
そしてそこに此の世界のはじめを拓いたやうに
われわれもまたすこしづつでも
すべてのものを
人間のこのびめうな感覚と神経とで
自分自分のこゝろ
自分自分のものとして見出さなければなりません
さいはひにも彼等が知恵の木の実をたべてゐてくれた
から
自分達にそれができます
いかにも此の宇宙天体の麗さなどよりみれば
その偉大に幻惑されて
そこにはたしかにあなたがあり
あなたこそまことにその創造者のやうに思はれます
けれど神様
さうおもふのはわれわれです
われわれにはまたそれが否定もできるのです
われわれの知恵において
あゝ此の知恵
それをこんなに大きくしたのは人問です
それをこんなに荘厳にしたのも人間です
われわれの力でゝはありませんか
われわれではありませんか
いまこそ人間は一切の上にあります
あなたでもわれわれあつてのものではないのか
あゝ知恵の木の実ばかりでなしに
またとないそのよい機会を
ほんとに、手ついでに
その生命の木の実もたべてしまへばどうでしたらう
私はそれをしみじみ思ひます
然しもうそれは漠々たる太古のことです
あんまりあてにならないことです
なにがなんだか
一切がわかりません
たゞ瞭然《りようぜん》たるものはわれわれです
人間です
人間各自の存在です
それだけです
あなたは理想です
無限大なる理想であれ
神様
もうすこしおきゝください
私にもすこし喋舌《しやべ》らしてください
悪魔にひとこと御礼が言ひたいのです
ごめんなさい
さて悪魔よ
あの時お前さんがわれわれ人類の前駆者である彼等に
あのお美味《いし》い知恵の木の実ををしへて
そして食べさせてくれたばかりに
彼等をはじめその後裔としての人類すべては
それはそれは泣かない日とてはなかつたのです
だがまたそのお蔭で
われわれ人間はいまこのとほりな怜悧《さか》しいものとなりました
ありとあらゆる物の上に立つてゐるのもそのためです
神様にすら運命にすら
だらしなく跪かなくなつたのもそのためです
一にはそのながいながい苦しい経験にもよりますが
その動機はと言へば
お前さんの手引からです
われわれはお前さんに何と感謝したらいゝでせう
ところがこれも神様の嫉妬からのことだが
お前さんとわれわれの間は
一尾の魚を二つに截切つたやうにされてしまつた
そればかりか
お互はおなじく酷い目にあつてをりながら
相互になぐさめ合はうとはせず
かへつて眼を双方でむいて睨めあつてゐるのだ
いつまでこんなことをしてゐてよいものか
どうして理解出来ないのか
どうして和睦出来ないのか
人人はもう悪魔ときけば震へあがつておそれてゐる
それでゐて降服はしない
降服しないのはいゝ
降服しなくてもいゝから
和解しろ
ところがそれもできないんだ
神様の御機嫌を損じたらそれこそことだとおもつてゐるのでだ
何といふ意気地のないことだらう
神様もまた神様なんだ
「敵をも愛せよ」などとをしへておきながら
随分、厳しいんだ
それこそ敵とみたらなかなか人間が蚤や虱をみるのとは違ふんだ
おそろしい神様なんだ
一刻の容赦もないんだ
一寸の躊躇《ちゆうちよ》もないんだ
徹頭徹尾なんだ
絶対的なんだ
もう本質としてゆるさないんだ
お前さんもよく知つてるだらう
ずいぶんつらからう
「汝はアダムとイヴとを誘惑《まどは》し
かの知恵の木の実をくらはせたるによりて
諸《もろもろ》の家畜と野のすべての獣よりもまさりて呪はる
汝は腹這ひて一生のあひだ地の塵をくらふべし」
神様がはら立ちまぎれにさう言つてからの
お前さん達は実に惨めなものになつた
わたしはそれを気の毒におもふ
そればかりではないんだ
神様は御自分の疳癪玉《かんしやくだま》をとこしへにお前さん達と人間とのあひだにおいて
絶えず爆発させようといふんだ
そして御自分はそれを高みでの見物さ
「われ汝と婦女の間
および汝の苗裔《すゑ》と婦女の苗裔とのあひだに怨恨《うらみ》を置かん
かれは汝の頭をくだき
汝はかれの踵をくだかん」だと
いゝ顔面《つら》の皮だ
なるほど最初はわれわれの大遠祖達もお前さんをよくは思はなかつたらう
お前さんさへ誘惑してくれなかつたらと
つらいめにあふにつけ
かなしいことにあふにつけ
さう思つたにちがひない
けれどだんだんいろいろと事と物との真相がわかつてくると
お前さん達はもう人間の敵ではなくなつたのさ
却つておんなじやうに酷い運命のあらしにあつてゐる友達なんだ
それがわかつたんだ
それがわかると人間の生活もさらりと一変しましたよ
お前さん達をはじめ
あらゆる生物に対して人間は
人間同志の間にしかもつてゐなかつた愛情を
汎《ひろ》くそして普《あまね》くもつやうになつたんです
神様はそれが気に喰はないんだ
でもまさか愛してはならないとも言へないので
知らん顔をしてゐるんだ
見ないふりをしてゐるんだ
何故なら万物を人間がその対象とするやうになると
唯一存在と自認してゐる神様は
神様としてのその面目をうしなつてしまふからだ
で内心頗《すこぶ》る怒つてゐるんだ
「自分以外の何物をも拝んではならない
自分の創造物を拝んではならない
また汝等のつくつたものを拝んでもならない
自分は天地の神である」
あの馬鹿正直なモオゼに
あの頑愚《がんぐ》なひとびとの指導者モオゼに
その頑愚なひとびとにむかつて
鉄面皮にもさういはせたが
それも線香花火のやうなものであつた
まあ見な
これが神様のお言葉だ
何といふ自己推挙だらう
何といふことだ
いまどきのあのづうづうしい商人などの自家広告もこれまでだ
かうなると
へん、何んとでも言ふがいゝや
どんなにでも威張るがいゝや
拝みたけりや催促されないたつて拝みますが
拝みたくなけりゃ
この口をふんざかれるつたつて拝みやしねえよ
とでもつい言ひたくなるんだ
またさうした自由を実際にわれわれはもつてゐるんだから
お前さん達も時々退屈まぎれの悪戯《いたづら》から
われわれの生活がそれで
ちよいと蚯蚓《みみず》ばれになるぐらゐのことはするが
それはほんの悪戯だ
からして悪魔なんだから
それつばかりのことは敢て咎めるまでもないのさ
神様の遣《や》り口からみると
ほんとに可愛いぐらゐのもんだ
人々は一切の不幸災禍をみんなお前さん達にしてゐるが
あれは全然まちがつてゐる
一切の運命は神様のお手のものだ
死ですらさうだ
決してお前さん達のすることぢやない
何でもかでもみな神様のすることだ
それを善いことは自分のものとして
悪いことはみんなお前さん達になすりつける神様
すべてがそれです
またそれを真正直にその通り信じきつてゐる馬鹿ものもあるんだ
だがもう夜は明けなければなりません
人間はみんなめざめなければなりません
その時が来たんです
誰でも自分で自分をやしなつてゐるのです
自分で自分をまもつてゐるのです
自分で自分をなぐさめてゐるのです
自分で自分を鞭打つてゐるのです
自分で自分を導いてゐるのです
自分々々です
それ外無いのです
それはちやうど燕などが海上でもわたるやうなものです
ひとのことなどは言つてゐられないのです
然しそれでいゝのです
そればつかりでおたがひは強く仲善く生きられるのです
さうです
そのやうにしてまづ自己が確立してゐなければ
どうしてひとの上にだつてその手がやさしく伸べられませう
人間はそれを知りました
人間はそれを知りました
まあ何といふすばらしいことでせう
人間にとつては
第二の天地開闢です
第二ではありません
これが真の曙《あけぼの》です
人間の霊魂の曙なのです
如何にもあのときアダムとイヴとは生命の木の実をたべませんでした
だがそれがなんでせう
人間は自分の足でこの大地を踏まへてゐるのです
自分の手でさまざまの戦争の器と生業《なりはひ》の器とをつくり
自分の眼で見
自分の耳できゝ
自分の鼻で嗅ぎ
自身の舌で味ひ
自分の口でいひ
自分の頭脳にふかくこもつたその知恵でどんなことでも考へます
かぎりなきいのちすらいまは知つてをります
運命などはもう人間にとつてなんでもありません
われわれはそれをすつかり逆にすら考へることが出来ます
もう人間は自由です
人間は永遠の意味をしりました
そしてその永遠を瞬間に生きてをります

神様
あなたの創られた愚かな人間どもの中には
あなたを愛の神様だなどとあがめて
それでいゝ気になつてゐるあんぽんたんがをります
それがかなり沢山をります
あなたは愛の神様ですか
いまもむかしもあなたは決して愛の神様ではありません
あなたは苦痛の神様です
あなたは怖しい神様です
あなたは暴逆な神様です
あなたは無情な神様です
あなたは貪欲な神様です
あなたは身勝手な神様です
あなたはきまぐれな神様です
あなたは真実のない神様です
あなたは自惚な神様です
あなたは酒好きです
あなたは喧嘩好きです
あなたはをんな好きです
あなたは人間の涙をこのみ血をこのむ神様です
人間と人間とのあらそひ
人間と人間以外の生物とのあらそひ
人間と自然とのあらそい
すべての争の種子を播くのはあなたです
あなたが不吉の火元なんです
かの大洪水で全人類をこの地上からすつかり滅亡ぼしつくされた時
お気に入りのノアとその家族だけは残されました
そしてたいへんなあの長雨の雨上がりに
大空にうつくしい虹などをみせてよろこばれ
ノアにむかって
その子孫をかぎりなく祝福すると言はれてゐながら
あなたの本性《うまれつき》はまるで空をゆく雲です
そんな契約などをまじめくさつて守つてゐるやうなあなたではありません
嘘吐きのあなたは
けろりとした顔をして
すぐ人間虐《いぢ》めにとりかゝりました
あなたの人間虐め
あなたの弱い者虐め
それはもういまはじまつてのことではありません
めづらしいことではありません
まがなすきがそれです
ひまさへあるとそれです
日々のことです
夜の目もそれです
とても一々ならべたてられたものではありません
人間あつて以来ずつと糸のやうに引きつゞいてきたことです
いまといふいまゝでそれがためにどんなに人間は泣いたでせう
あゝおもへばよくもよくもこんなに憎まれて来たものです
こんなに憎まれ苦しめられながら
生きてきたのが不思議です
生きてゐるのが不思議です
いや、それでこそ人間なのです
たくさんくるしめてください
それが人間に堪へられるか
根競べです
力をゆるめないでください
可哀そうだなどとはゆめにもおもつてはくださいますな
愛されたくないのです
愛されると弱くなります
強いところが人間の価値です
そればかりです
意地です
此の意地があるのでばかり生き存へてきたのです
あゝ此の人間
神様
おきゝでせうか
どうぞよくおきゝなすつてください
あなたは混沌から此の世界をばつくりなされた
あなたは光をつくりなされた
あなたはその光と闇とをわかちなされた
あなたは朝と夕とをさだめなされた
あなたは夜と昼とをさだめなされた
あなたは穹蒼をつくりなされた
そしてその穹蒼と大地とをわかちなされた
その穹蒼を天とよび
地に水のあつまれるところを海とよび
地には青草と
実瓜《たね》を生ずる草と
おのづから核をもつところの樹々と
それらのものをつくりなされた
あなたはまた
夜と昼とにしたがつて
季節をさだめ
日をさだめ
時をさだめ
かゞやく二つの光をつくり
その大なる光をして昼を司どらせなされた
それが太陽です
その小さな光をして夜をまもらせなされた
それは月です
あなたはまた水には魚ら
天には鳥と羽ある虫虫
地には獣とすべての這ふもの
それら諸《もろもろ》のものをつくりなされた
いやはてにあなたは大地の塵より人間を
この人間をつくりなされた
それを男となし
女となし
男にはすべてのものに名をつけさせ
女をばすべてのものゝ母となされた
そしてすべてのものをその人間に与へなされた
その人間即ちわれわれの大遠祖に
すべてのものをあたへなされたといふ
すべてのものをあたへなされたといふが
何一つあたへなされはしませんでした
それこそ何一つ
けれどいま人間は一切の所有者です
此の一切はみんな長い長いその年月のあひだの
くるしいくるしい努力からかち得たものです
われわれ自らのものです
いまからおもへば
あなたのわれわれ人間のためにつくられた此の世界は
それはそれは人間にとつては
不都合極まるものでした
われわれ人間の生活を脅かすものがみちみちてゐました
いまも頭を列べてをります
大方征服しはしましたが
まだまだたくさん残つてをります
而《しか》もいつかはみんな降参させてしまふでせう
それを考へるとたのしみです
いふにいはれぬよろこびです
とにかく世界は
此の世界のはじめは
荊棘《けいきよく》と薊《あざみ》と石ころばかりのそこはひどい荒野でした
それをこんなにしたのです
それは人間です
人間が此の世界を拓いてこれほどにしたのです
かくもよくしたのです
かくも美しく見られるやうにしたのです

もうやめます
いくら言つても際限のないことですから
神様
どんなにかおきゝぐるしかつたでせう
すみません
だがかうして何もかも言つてしまふと
この胸がせいせいします
これはいゝことです
かうして何のかくしだてもなくすべてを披瀝《ひれき》することは大切なことです
うるはしいことです
お互いの理解の上に
これほどいゝことはありません
たゞわれわれにものたらないのは
あなたのお心のわからないことです
あなたは永遠の秘密ですか
さうです
さうです
そんなことは何だつていゝのです
こちらのこゝろさへわかつてゐてくだすつたらそれでいゝのです
神様
世はさまざまで
世の中にはあなたを知らないものも沢山あります
あなたを知らないのです
知らないからたよらないのです
それでも生きてゐます
あなたを拝んだり
あなたに大願をかけたりするためには
一銭半銭のはしたがねをあなたの賽銭箱にうやうやしく投げ込む人々より
またあなたをお宮の中に祭りこんだり
眼ざはりにならない神棚の高いところへ押上げたりして
あなたを鼠の族と同棲させ
あなたを埃だらけにしてゐながら
それでも自分は信心深いと自惚れてゐる人々より
彼等はあなたを知らなくとも
彼等はあなたをたよらなくとも
彼等がいかに淳朴ですか
彼等がいかに善良ですか
あなたを知らないだけそれだけ彼等は天真爛漫です
たまたま彼等のあるものが
ちよつとまちがつたことでもすれば
すぐ大袈裟にもあなたを知らないからといふ者はあるのです
あなたを知らないからでせうか
或はさうかも知れません
そんならあなたを知つてゐないといふ理由で
彼等を責めないでください
人々の中にはあなたを知つてゐるといひまた知つてゐながら
悪いことをする者があります
あなたを知らない彼等などより
それはそれは大へんな罪を犯すものがあります
それにくらべれば
彼等はあなたを知らないのです
知つてゐて大罪を犯すのより
いくら恕す可きであるか解りません
寧ろ不憫とすらおもはねばならないものが多いのです
如何にも彼等はあなたを知らないから
悪いことをします
けれど善いこともします
あなたを知り
あなたをたよつてゐるものは
なるほど悪いことも少いでせう
絶対にではありません
たゞ比較的にといふほどのことです
悪いことが少いのです
さうです
そして善いこともしないのです
あなたは神様です
あなたの信者をもすこし何とかしてやることはできませんか
神様
もうやめませう
私はいろんなことを言ひました
涜神《とくしん》此の上もないやうなことまで口走りました
すべての私の正直からです
真面目からです
涜神 悪くおとりになつては困ります
あるひとびとはいひます
みんな嘘だといひます
私のいふ事
あなたの事
みんな嘘だといひます
嘘でせうか
さらに天地開闢のこと
アダムとイヴのこ
その子等のこと
大洪水のこと
バベルの塔のこと
その他のこと
みんな一つとして真のことではないといひます
さうでせうか
私もさうおもひます
みんな嘘であればいゝと思ひます
みんな嘘であれ
だがこれだけはどうしても疑ふことが出来ない
それは人間の悪いことです
それは人間の善いことです
それからその善い悪いの上にたつて
その善い悪いを自らで審判《さばい》てゐることです
そして人間の弱いことです
そして人間のみすぼらしいことです
けれどそれとゝもに
人間の強いことです
運命のつきだすその槍の穂尖をほゝゑんでうけうるほど
それほど強くなつたことです
あゝ神様
われわれの大遠祖達があの楽園を追はれてから
もうどれほどでせう
そのながいながい
とても信じられないほど長い年月のあひだに於て
そのくるしいくるしい日日の経験から
これは獲得したものです
人間の性です
そればつかりで生きてゐられる人間の唯一のものです
あゝ神様
創世以来の神様
ふるい神様
幻滅の神様
嘘のやうな神様
人間はめざめました
あなたはもう消えてなくならなければなりません
けれど神様
真のあなたである神様
理想としての神様
それをわたしはわれわれ人間にみつけました
眼ざめた人間がそれです
あなたに咀はれた此の大地を
ともかくも楽園とした人間です
その人間です
おゝ新しい神様

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