夏草の後にしるす

保福寺峠鳥居峠を越えて木曾に入りしはこの夏七月の中旬なりき。福島の高瀬氏はわが姉の稼ぎたるところにて、家は木曾川のほとりなる小丘に倚りて立てり。門を出でゝ見れば大江滔々として流る。われこの家にありて、峨々たる高山の壮観に接し、淙々たる谿谷の深声を耳にし、露たのしく風すゞしきあした、又は雨さびしく鳥なつかしき夕、興に乗じてつゞりなせる夏の日のうたぐさを集めたるはこのふみなり。
八月木曾川の岸にはうるひ、露菊のたぐひさき乱れ、山には石斛、岩千鳥、鷺草など咲きいでゝ、さすが名に負ふ谷間のことなれば、異花の奇香を放つもの少なからず。河鹿なく声も稀になりゆきて、桑摘の鄙歌おもしろく聞ゆるころより、高瀬氏の後園には草花のながめことにうれしく、九月に入りては白壁のかげなる秋海棠の花もさき出でぬ。われは朝夕この花園に逍遥するの楽みありければ、枝たわわなる夏梨のかげ、葡萄棚のもと、または百合畠の間などにありて、海の如き青空に夏雲の往来するを望み、もしくは夕顔棚のほとりにありて、老いたる農夫と共にいつはり薄き風俗のさま、祭の夜の賑かさ、耕作の上のことなど語りつゝ田舎の風情を味ひき。
旧暦七月十五夜には月ことにあかくこの谿谷にさし入りぬ。われは家族と共に今昔の物語を楽みたりき。甥なるひとはわれと年僅に三つばかりたがひたれば、殆どまことのはらからのごとく、常に起臥を同ふして、共に読み、共に語り、なにくれとこゝろづけくるゝ情のほどもうれし。家には昔より伝はれる古画古書または陶器漆器香具のたぐひなど少なからず、われはこれがために好古の性癖を壇にせしのみか、また蔵に納めたる図書を見るの楽しみ多かりき。このふみは高瀬氏と姉とのたまものともいふべきなり。 げに、美妙なる色彩に眩惑せられて内部の生命の捉へ難きを思ふ時、人力の薄弱にして深奥なる自然を透視するの難きを思ふ時、芸術の愛慕足らざるを思ふ時、古人がわが詩を作るは自己を鞭つなりといへる言の葉の甚深なるを嘆ぜずんばあらず。夏草はわが自ら責むるの児にすぎざるのみ。

目次に戻る


ルビは《》で示した。
対応できない字は【】で示した。
底本:「島崎藤村全集」筑摩書房(昭和56年)
初出:「夏草」春陽堂(明治31年)