少年にして早う名を成すは禍なりと云へど、しら髮かきたれて身はさらぼひながら、あるかとも問はれざる生きがひなさにくらぶれば、猶、人と生れて有らまほしくはえばえしきわざなりかし。それも今様のはやりをたちが好む、ただかりそめの名聞ならば爪弾《ツマハジ》きしつべけれ、香木のふた葉にこもるかをりおさへあへずおのづから世にちりぼひて、人の捧ぐる誉れを何かは辞むべき。石川啄木は年頃わが詩社にありて、高村砕雨・平野万里など云ふ人達と共に、いといと殊に年わかなる詩人なり。しかもこれらわかきどちの作を読めば、新たに詩壇の風調を建つるいきざし火の如く、おほかたの年たけし人々が一生にもえなさぬわざを、早う各々身ひとつには為遂《シト》げむとすなる。あはれさきには藤村・泣菫・有明の君達あり今はたこれらのうらわかき人達を加へぬ。われら如何ばかりの宿善ある身ぞ、かゝる文芸復興の盛期に生れ遭ひて、あまた斯やうにめづらかなる才人のありさまをも観るものか。こたび書肆のあるじなにがし、啄木に乞ひて、その処女作『あこがれ』一集を上板せむとす。啄木、その事の今の売名の徒と誤り見られむことを恐れて、われに議りぬ。われ云ふ、毀誉《きよ》の外に立ちてわが信ずる所にひたゆくは、古の詩人の志にあらずや。あながちに当世の人のためにのみ詩を作らざるは、またわが詩社のおきてにあらずや。みずから省みて疚しからずば、もとより詩集を出すは詩人の事業なり、何のためらふ所ぞと。啄木わがこの云を聴き、ほほゑみて草本一捲を懐より取うでぬ。こは啄木が十八の秋より二十《ハタチ》の今の春かけて作れるもの凡そ七十余篇、あなめざまし、あななつかし、あなうるはし、人見て驚かぬかは。

  巳の暮春

与謝野鉄幹 

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親本:「石川啄木全集」筑摩書房(昭和54年)
初出:「あこがれ」小山田書房(明治38年)