森の違い

森の違いを考えてみる。仮に、東北と東京の森の上に雪が降ったとしよう。
この東京の、春から夏、秋へと暖かい日差しを受けている森、人里の近くにあり人に温かみを与えている森。この森に灰色の少し明るい空から雪の粒が舞い降りる。雪は、杉やヒノキの葉の上にしっとりと降りしきり、葉の青さを白い日々に変えようとしている。しかし森の葉は、その内側へ汲み出されてる大地から幹へ枝へ葉の先へと進む脈動にしだいに解け始め、白い雪の粒は霙となり透明度を上げ、葉先へと滑り落ちていく。そしてヒノキの葉先、その色深き緑ではなく、蛍光を発する黄緑、蛍の光のような暖かさで森の道をくっきり浮かび上がらせているその葉先は、重たい霙の粒を滑らかな水へと変へ、再び暖かき大地へと返していく。
私の帰るべき東北の静かな森。人はそこから大地の恵みを受けている。しかし山は人にとって異界であり、多くの生き物達が互いに共存しあう所。雷に打たれて枯れ始めた木々は、滴る雨に生きている身体をしだいに死んでいる身体へと移して行き、時を経て腐りキノコや幼虫の住処となるその木。そしてその下では、何十年も自分に日が当たるのを待っていた木が、光を受けて留めた時を再び明日へと返し始める日々。時は長く、明日の風も、昨日の声と同じ。
そのような森に雪がふる、音も無く、永遠の森の上に。森の葉は全てを受け止め、枝を広げた空に、冬の白い花を映し出し、山全体を花の国へと変える。そして自らは、雪の重さを守り、太い幹を曲げてその軋みに耐え続ける。春はいつ来るとも知れない。しかし、この森はそのままの姿で再びあり続ける。雪の冷たさに時を止めて。自らの身体を流れる水が氷、身体が裂けその響きは森中に伝わる。その夜更け。夜の静まり返った湖が、一滴の雫でその波動を湖面に伝えるように。森は深い海へと帰る。
南の国のサトウキビ畑の歌も、男達がハミングで重ねあうと深い山の歌に変わるように、森は常に深遠なのである。