東北と東京の山の違い

登ってみての登山体験を話してもいいのだが、関東では人口に比例して登山客も多く、それだけ東京・埼玉近郊の山登りを紹介する日記の類も多い。一方私のページは詩を中心とするページなので、今回は登山概要を割愛して、山を登ってみての東北と東京の違いを述べる。
まず第一の違いは、登山客の数である。私はこの度、関八州見晴台(760m)・伊豆ヶ岳(851m)などの秩父へ向かう途中の山と、高尾山とその奥の山の京王線の終点からの山々を登った。それらの山を登っている途中、道が真っ直ぐであったり、高い木々が途切れている様な、少し先が見渡せる所に出ると、大体家族ずれや中高年のグループなどを数組を見つけることができ、また、逆をすれ違う人も大体5分に一度ぐらいのペースで出会ったりした。私が登ったのは土日ということもあったのだが、東北では土日に山を登っても、だいたい追い抜いたり追い抜かれたりするのが5組ぐらい、すれ違うのが5組ぐらいと、一山登り終えても出会うのは10組程度である。
宮城県の人口は約二百数十万人、一方東京都の人口は約千二百五十万人、その差約5倍ある。しかしこの度の山登りで出会った人の割合は遥かに5倍を上回っている。これは東京の方が登山熱が盛り上がっているというよりも、少し考えれば分かることだが東京では、ハイキング客が登る山が集中するということである。例えば私の自宅からは山を見ることは出来ない。一方宮城県では、山が見えないなどというそんな場所は存在しない。東京で山に登る場合自宅から山に行き着くまでに最低でも1時間は電車に揺られなければならない(無論すんでいる所によるが、一般的に)。そしてそこから日帰りで登れるハイキング用の山などは数が知れている。つまり、山においても、朝の通勤に皆が東京・新宿へと向かうがごとく、同じような山に向かっているのである。何という効率の悪い事だ。働く場所と住む場所、土日に出かける場所とみな別々の箇所で相当離れており、まるでこの都市はJRを儲けさせるために街を作っていったとしか思えない有様だ。
また、それと同様な意味で高尾山の山頂に売店があるのには驚いた。高尾山頂上に行けば人が山ほどいるので商売になることは分かるのだが、宿泊用の山小屋でもないのに山に売店があるのだなあと、ある意味うらやましくもあり悲しくもあり思った。山は人の場所ではないんだが・・・
二番目は意外な事であるが、東京では誰も鈴をつけている人がいない。これがなぜ意外なのかが分からない人がいるかもしれないが、実際意外な事である。山という場所には何がいるのか分からない、山はそもそも人間の領域ではない。山において人間は、多くの生命の内の一種類に過ぎず常に外界の危険にさらされている。普段我が物顔で歩いている大臣も社長さんも、山では外界に注意を払い時には頭を下げなくてはならない(枝とかは間違っても折ってはいけない)。
山の中で最も危険な事、それは熊さんに出会ってしまうことである。森の熊さんにはあなたが金太郎でもない限り対応することは出来ない。もし出会ってしまったら、熊さんの気を引くものを何か投げて必死で逃げるしかない。そう、寝たふりは意味が無いのである。ところが東京の人は皆近郊の山で鈴を付けてはいない、つまり、東京のハイキング向けの山には熊さんは出没しないということなのである。私は一人だけ鈴を鳴らしながらしばらく歩いて誰もつけていないことに気付き、少し恥ずかしい思いをしてしまった。
東北に行く東京のかた、低いハイキング用の山なら熊さんなど出ないだろうと思われるかもしれないがそんなことはない。熊さんは森を伝ってやってくるのである。2年ぐらい前、地元のテレビに流れたのだが仙山線の愛子の駅前に熊が出たというニュースがあった。仙山線というのは、仙台と山形を結ぶ列車である。列車が通る友人駅の駅前に熊が出る可能性がある以上、山などではいつ熊さんに出会ってもおかしくない。
これは以前、山岳部に属していた事のある人と山で出会い、自分達の登った山などを少し話したところ、熊に一回も出会っていないとは珍しいと言われてしまった。東北に行く際に(東北の山に)鈴は必需品である。もちろんマムシなどにも気をつけなくてはならないが、蛇は地面が揺れると逃げていくらしいので、足を鳴らして歩いていれば大丈夫だそうである。
三番目の違いは、悲しい違いである。私はこちらの職場に来て、とても人々が殺伐としてドライであることを感じた。最初の歓送迎会の時にそれをヒシヒシと感じた。こちらに来る前の会社などでは始めに、「何処の生まれか」「どこの高校(大学)か」など何処から来たのかというのが話題の最初に来る。それで或る程度盛り上がって、次第に趣味などの話に進んでいくものなのであったのだが、こちらでは誰も聞きもしなければ、だんだん会話が無くなっていき、こちらが話しかけても話題を切るのである。そのうちなぜか仕事の話題に話が進んで行き、たんなる業務の延長のような形になってしまった。
そういうわけで山にまでその殺伐さは続いていた。山を登っていく。最初は人が多い。しかし一つ目の山を過ぎ、次第に奥の方の山へと縦走して行くと、ハイキングに来た家族連れはいなくなり登る人はまばらになる。山の中ですれ違う人も少なくなってくる。すれ違う人に挨拶をする事、これは遭難した時のためなどに顔を覚えておいてもらうためでもある。もちろん山を登る仲間という意味合いもある。ここが違った。都会では仲間でも挨拶をしないものなのかもしれない。中には挨拶を返してくれる人もいる。しかし返してくれない人の方が多い。最初は私は常に声をかけ続けていたのだが、そのうちとても悲しくなってしまって、挨拶をされない限り、自分から声をかけない都会に染まってしまった。山には都会を持ち込まないで欲しい。山は人の領域ではないのだ。都会のままでいたいなら山には入るなと忠告したい。
最後に、これは山にも人が多いということとも関係しているのであるが、山が非常にやわらかいのである。まるで街中の公園の様に人に優しい。この点において違いを説明するのは、私のような若輩者には厳しい。ここは文人 太宰治の言葉を借りることにする。太宰は「津軽」という小説の中、太宰が竜飛岬を旅した時の話の一部分で

二時間ほど歩いた頃から、あたりの風景は何だか異様に凄くなつて来た。凄愴とでもいふ感じである。それは、もはや、風景でなかつた。風景といふものは、永い年月、いろんな人から眺められ形容せられ、謂はば、人間の眼で舐められて軟化し、人間に飼はれてなついてしまつて、高さ三十五丈の華厳の滝にでも、やつぱり檻の中の猛獣のやうな、人くさい匂ひが幽かに感ぜられる。昔から絵にかかれ歌によまれ俳句に吟ぜられた名所難所には、すべて例外なく、人間の表情が発見せられるものだが、この本州北端の海岸は、てんで、風景にも何も、なつてやしない。点景人物の存在もゆるさない。強ひて、点景人物を置かうとすれば、白いアツシを着たアイヌの老人でも借りて来なければならない。むらさきのジヤンパーを着たにやけ男などは、一も二も無くはねかへされてしまふ。絵にも歌にもなりやしない。ただ岩石と、水である。ゴンチヤロフであつたか、大洋を航海して時化(しけ)に遭つた時、老練の船長が、「まあちよつと甲板に出てごらんなさい。この大きい波を何と形容したらいいのでせう。あなたがた文学者は、きつとこの波に対して、素晴らしい形容詞を与へて下さるに違ひない。」ゴンチヤロフは、波を見つめてやがて、溜息をつき、ただ一言、「おそろしい。」
 大洋の激浪や、砂漠の暴風に対しては、どんな文学的な形容詞も思ひ浮ばないのと同様に、この本州の路のきはまるところの岩石や水も、ただ、おそろしいばかりで、私はそれらから眼をそらして、ただ自分の足もとばかり見て歩いた。

風景の軟化について述べている。つまり風景に人間の手が加わることとは、私達にとってやさしいように作り変えていくということであり、その手が加わり過ぎればもはやそれは人間が配置して作り出した公園に近づいていくことになる。歩いていて邪魔な枝は曲げられ、そのうち折れてなくなり、下草は踏まれ生えるなくなる。高尾山の頂上の風景などは特にそうで、ここが街の真ん中にあっても何の違和感も生じないほどの軟化を見せている。路もまた同じ。これはある意味でにおいては正しいことであるが、杉の下枝が切られて林業の森として管理されており、路を遮る倒木は無い。人が歩くのをじゃまする刺々しい草もなく、人の歩く道として山の中、森の中に整備されているのである。無論それは登山道として整備されている場合において、どこの地域でも路として分かるようにはなっているのであるが、ここまで行くと自然としての凄みや、山に対する畏敬の念を感じることは出来ない。
人が何のために山や森を歩いたりするのか。その一つの役割の一つは人が自然の中で、ただ一つの生命に過ぎないということを感じることであり、世界での自らのおごりを戒めることである。いつまでも人間が全てを自由に開発して進めてよいものではない。現にその影響は公害や地球温暖化という影響として顕著に現れているのであり、科学技術によってその対策を行うのではなく、自らのおごりを戒めることによって対応すべき事ではないのだろうか。
最近、地球温暖化対策のために軽装を訴えているが、その買替え需要の経済効果を算出するというあほらしいことをしている。新しいものを買えば、それだけ新しい物を生み出すためのエネルギーを使うことになるのであり、さらに温暖化は進むことになる。いったい何を考えているのか分からない。訴えるとすれば、ネクタイを外そうぐらいが丁度いい。新しい服を買っては本末転倒である。むしろ、使えるものを大切にして長く使っていこうと訴えるべきである。地球温暖化も色々利害がからむと庶民から見てもおかしな話が出てくる。さて、話がそれてきた。元に戻して今度は自分の言葉で森の違いを述べたい。私は詩人であるので詩人的に次に記事で述べてみた。
いかがだろうか。少しは私の受けた印象を感じていただけただろうか。山や森は、この都会から帰ることに出来る場所である。世界は人のみが存在しているわけではない。子供を育てる者、教育に携わるものは、人が作り上げてしまったような森ではなく、本当の深い山へと子供達を連れて行き、社会というものだけに人間の思考を費やしてしまうような小さな人間を育てるのではなく、広く世界を認識し、見つめることが出来るような人間を育てて欲しいものである。
結構長くなってしまった。最後まで私の思想に付き合って下さった方、本当にありがとうございました。