石尊と云う碧い小さな山がある〜信濃追分から〜

信濃追分から

追分文学散歩道

追分文学散歩道は、信濃追分宿の裏手に平行して走っている林の小径です。追分宿の入口から分別れまで続くこの道には、唐松や白樺などの高原樹木がゆるやかに立ち上がり、かつての詩人達のやさしい詩声がその間から流れ出ていました。
冬が近づき、木々達は触れる度に細い腕々を震わせて、その空に青い地図を広げ始めていました。林はしだいに深まっていきます。親に振られた高みからの葉は、下枝の方で横を向いて残る葉の群を荒立てて落としてゆき、コナラやクヌギ、クリなどの堅い葉でできたさざ波を揺らしました。鮮やかな朱色、この林の中で一番の彩りだったイチイの実も、きっとこの寂静の中にその身を和していくのでしょう。

石尊山

この追分文学散歩道の奥の、高札場と諏訪神社の間の道を真っ直ぐに歩いていくと、石尊という山の登山口があります。浅間山(2568m)や黒班山(2404m)より手前側にあるこの山(1667m)は、2つの山の間ぐらいに見える位置にありますが、2つの山の峰づたいよりも低いため、麓から見てもその姿を顕わにすることのない慎ましい山です。

静かな少年

かつて、この山を見つめた詩人は詠みました。

静かな少年  (津村信夫


 もろこしを呉《く》れないかと訊《たづ》ねると 少年は当惑して「このもろこしは駄目だよ」と云つた
 霜がふるまでかうやつて置く 美しい霜がくれば もろこしも実るのだ さう云つて説明した 農家の小窓から女が首を出してゐた 少年の説明をじつと聴いてゐた 少年の言葉が終ると 安心した風《ふう》にそつと窓をしめた
「山を見るといい」少年はさう云《い》つた 少年は歩き出した 薄《すすき》の穂を手に持つて 石尊《せきそん》と云《い》ふ碧い小さな山がある その背後《うしろ》に火の山が控へてゐる 日の暮れだから 火の山は顔を隠してゐた 時たま あの微妙な色の雲の隙間から ちらりとその片頬を見せたりする その素振りの優雅さが まるで老けた女《ひと》の思ひやりのやうで ふと私の心をついた
 少年の眸《ひとみ》が欲しい そしてあの素直な心の動きをも「山を見るといい」あの冴々《さえざえ》とした声は 今 静かに街道を歩いて行く 馬糞《ばふん》の匂ひが濃くなつて 荷車が私を追ひ越して行つた
 相肖《あいに》たものの心が――美しい さいぜんから 私はそんな物思ひに耽《ふけ》つてゐたのかしら

津村信夫

津村信夫さんは信濃での詩を多く残している人で、この詩は追分宿で作られた詩といわれています。また、石尊山という山が軽井沢や小諸からは見ることの難しい山であることからも、追分宿からの風景だと思います。
津村信夫さんが詠んだ詩は、知人や家族などの親しい人間との触れ合いの中で作られた詩が多く、また、少年時や少年に自分を投影した詩も数があります。この詩もそういった事から、「冴々とした声の少年」「老けた女の思ひやり」、火の山である浅間と農家の小窓から優雅に見え隠れする姉、小さな碧い石尊山と静寂な泉のように全てを映す瞳の少年、浅間山と石尊山、そして姉道子と信夫自身、という風にとらえることも出来ます。

詩の風景

私がここを訪れたのも、霜が萌え始める少し前くらいでした。枯葉の裏に白い繊毛がもえ始めるような、足音を鳴らして大地が盛り上がるような、そういった冷たさが感じられます。昼でも吐く息は白く、そして空気はとても澄み切っていて、筋になって流れる雲がとても高く感じられました。
夕方が近づいてくるに従って、白い煙を吐き続けていた浅間は遠くからの雲に隠されていきます。その裾野をカーテンが揺らめくように見せたり隠したりしながら、段々と姿を消していきました。浅間を右手に見て沈んでいく夕日は、オフィスに射し込む西日のまぶしさではなく、雲の間からただ朱い鮮やかな色を空の青さのように描いていました。
こういった風景にあると、自然と自分の体の中に空のような空白が出来てきて、自分自身の歩みや、自分の心が流れ出したりするものです。私であったならば、その時々に落ちている、ドングリや松ぼっくりなどを一つ拾って意味もなくその実を思ったりするのですが、津村信夫さんはその風景の中で、自分の姉のこと、そして自分の事を思ったのかもしれません。

少年の心

「その少年の心が欲しい。冴え冴えとした少年の声が、そしてその碧い瞳が。」
ここが津村信夫さんにとっても、また、私にとっても、最も求めたいところだと思います。
信濃追分の駅を降りると、その駅前の原に薄の穂がたくさんそよいでいます。その後ろには浅間が見えて、背の高い木々は葉を落としていますから、そこは大変荒涼としています。このような風景を以前に会津で見ましたが、その時は薄を取ろうと思って手に持ってみたした。しかし、なかなかちぎるのが難しくて、少年になりきれなかったためでしょうか、あきらめてしまいました。
同じようにこの季節には、ガマの穂が出ていますね。水辺にあって危ないので、昔祖父にお願いして取ってもらった事がありますが、子供の時には薄の穂よりもガマの穂の方に興味を引かれたようです。今は薄の穂の荒涼さに惹かれていますから、今度は引き千切ってみようと思います。