堀辰雄の愛した石仏〜信濃追分泉洞寺から〜

堀辰雄の愛した石仏

大和路・信濃

信濃追分宿の道沿いにある堀辰雄記念館を越えて、諏訪神社の先へ行くと、泉洞寺というお寺があります。小説家・堀辰雄はこのお寺にある石仏を愛したと言われており、小説「大和路・信濃路」の「樹下」の章で、この石仏について触れています。この小説は、堀辰雄が奈良のお寺や古墳を巡った旅行記と、夫人と共に出かけた冬の木曽路越での会話や回想を描いた作品で、「樹下」の章はその小説の冒頭にあります。

堀辰雄

堀辰雄の小説の中でこの石仏は

その藁屋根(わらやね)の古い寺の、木ぶかい墓地へゆく小径(こみち)のかたわらに、一体の小さな苔蒸(こけむ)した石仏が、笹むらのなかに何かしおらしい姿で、ちらちらと木洩れ日に光って見えている。
〜(略)〜
そんな笹むらのなかの何んでもない石仏だが、その村でひと夏を過ごしているうちに、いつかその石仏のあるあたりが、それまで一度もそういったものに心を寄せたことのない私にも、その村での散歩の愉(たの)しみのひとつになった。

と紹介されています。堀辰雄はその不思議な石仏についての由来や村の人の信仰などを尋ねたりしていくのですが、ハッキリとしたことは結局のところわかりません。しかし、土地の人達が、自分達で感じたありがたさをこの石仏に託しているように、堀辰雄もこの素朴な石仏に心を惹かれるようになります。そして、訝りながらも自分がこのなぜこの石仏にこんなに親しみを感じるのかという理由の一つを、自分が信濃の自然の一部とかして暮らしていていた日々と、そういったはかないものへのあこがれとして述べています。。

自分をもその一部とした信濃そのものに対する一種のなつかしさでもあろうし、又、こうやって大和の古びた村々をひとりでさまよい歩いているいまの自分の旅すがたは旅すがたで、そんな数年前の何か思いつめていたような自分がそういったはかないものにまで心を寄せながら、いつかそれを通してひそかにあくがれていたものでもあったのであろう。ともかくも、その笹むらのなかの小さな思惟像は、何かにつけて、旅びとの私にはおもい出されがちだった。

石仏の場所

現在この石仏は、お寺の脇のお墓の入口にあります。まず、通りから少し入ったお寺の門の所で左に進み、お寺の左脇の墓地のある所へ入ります。お墓に関係ない人間が入っていくのはどうかと思うのですが、お墓が連なり始める少し前の場所にこの石仏はあります。草木に囲まれていて、また、月日を経た小さい石仏なので、風景に一体化して分かり難いのですが、石仏の脇に説明板があるので、この説明だけで見つけることが出来ると思います。私は泉洞寺にあるという情報しか知らなかったので、お寺の中などを迷ってしまいました。

石仏について

堀辰雄の話の中で石仏は、「木ぶかい墓地へゆく小径のかたわらに、一体の小さな苔むした石仏が、笹むらのなかに」とあるのですが、現在の石仏は、墓地の脇で幾分開けた明るい日射しの下にあり、苔むしてはおらず、笹むらも近くには見られません。
この石仏は写真のように、右手を台座に曲げた右足の股の上におき、左膝を曲げてその膝の上にほおづえをついた左手を置いて、頭を傾いでいる姿になっています。風雪を経たせいか顔の表情ははっきりせず、おだやかな印象を受けるのみです。台座の前には、2つの果物のお供え物がされていました。
この仏像は、半跏思惟像(はんかしいぞう)と呼ばれる仏像に分類されるようで、半跏思惟像は思索している弥勒菩薩の姿の名です。京都の広隆寺にあるものが有名で、台座に腰をおろし、左足を垂らし、右足を曲げて左ひざの上に置き、右手でほおづえをつく姿勢をしています。(大辞林による説明を引用)
一般的な姿からすると、この石仏の形は腕の組み方と傾いでいる頭の方向が逆で、考えているというよりも、一休みしているという印象を受けますが、仏様に向かってそんなことを言うのは失礼になるのでやめておきます。

石仏になって

私のようにもう世界に対して何かをしようという意志は無く、仕事の上で忙しいとは感じても、草木のように日々の時間が無限に広がって者にとっては、月日を経たものというのは非常に親しくあり、また、滅び去ったものなどでさえも懐かしく感じるものです。
そういった日々では美しく磨かれた宝石などよりも、昨日森で見つけたドングリや松ぼっくりといった純粋なものがいっとう大切なものに思われるようになります。たとえ自分がドングリ林から遠いところにいたとしても、そのドングリには自分が木の下で木の実と戯れていた記憶が大切に宿っていて、そのドングリが私の心の中でおぼろげに広げる境界までは穢れずに森と繋がっているように思われるのです。
宝石が大切なものであるのは、その宝石が美しいからではなく、その宝石にその人に関する記憶が宿っているからであって、本当のところ誰にとっても価値があるものではなく、それはドングリが普通の人にとって価値のあるものでないのと同じなのです。
私は最近そのような心境から、どこか自分が落ち着ける場所を見つけて道祖神になろうかと思っていますが、この石仏を作った人もそういった心境でこの石仏におだやかな自分を託したのかもしれません。私の道祖神というのは、何かを導く人という意味ではなくて、誰も気に留めない路傍の石のように自然に混じりたいということを意味しています。私の上に実のなる大きな木があって、私の前に自然とその実が溢れて落ちてくるような、そういった所がいいと思います。