新年

鶯宿温泉温泉神社

挨拶

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
この「あどけない詩」HPも開設2年目に突入し、昨年の12月には5万HITを記録しました。本ページを訪れて頂いた方々、誠にありがとうございました。

本HPの昨年について

本ページの昨年を振り返りますと、それまで個人的なメモとして好きな詩を入力していたところを、詩の掲載ページとして他の人が訪れても詩を探せるようにメニュー整備をすると共に、一つ一つの詩の掲載から詩集の掲載へと軸を移して、島崎藤村津村信夫等・八木重吉中原中也立原道造の詩集及び年譜の追加などを行いました。
また、HPのデザインを変更し、日記の検索ボタンの設置・カウンターの設置・タイトルロゴの作成を行い、見栄えも無論ですが、来て頂いた方に親しみやすく分かりやすいようなページの作成を心がけました。
一方で、脈絡のない個人的な日記類を、幾つかのテーマに分類して書くことで一連の形にしようとしましたが、こちらの方は内容の統一性がはかられず、また内容としても継続性が無いためうまくいきませんでした。

私の昨年について

一方で個人的な話に移りますと、一番の変化として埼玉への転居がありました。私はそれまで東北の会社に勤めていたのですが、春から東京の親会社の方に2年間の出向となり、東北を離れることになりました。
その時既に東北にいる大学時代からの友人は相当減っていたのですが、それでも仲の深い者が数人残っていたため、学生時代の継続の様な生活を一部で送れたと共に、一年前の振り返りの日記の中で述べた幾つかの新しい関わりを持てたため、救いのない現実の中でも幸せな時を過ごす事が出来ていました。
その後、残念ながらこちらの方ではそういった状況になっていません。私自身が連日の残業で帰宅時間が遅いのと、こちらにいる大学時代からの友人は、埼玉・千葉・東京・神奈川と散らばっており、誰の所に行くにも一時間以上かかるので、以前のように毎週を鍋物を囲むような時は過ごせなくなりました。
この生活を続けるに従って、詩も生まれなくなってきました。

思い浮かべる風景

一般的に都会の方が幸せだといいますが、実際のところ人と人が係わる上で必ずしもそうではないようです。例え日々が寂れていて、黄昏が未来を淡く色づけるとしても、一日風景の中で誰かと或いは自然そのものと時間を過ごす事出来れば、私にはその方が幸せであると思います。
この頃よく山裾の風景などを思い浮かべるのですが、その風景というのは山笑う春の新緑でも、山色づく秋の紅葉でもなく、野原が枯葉色に茎の先を折り、落葉樹の葉が空の地図を広げ続けるという寂寥な風景です。落ちている実もみな中身が虚ろになっています。
これは私自身が煌びやかな人間ではなく、そのために同様なものに親しみを覚えるという事に因るのだとも言えますが、街という何もかもが明確な形をもって互いに詰まりあい、仕事のスケジュールすらもが分刻みで埋まるような日々の中では、そういった風の流れるような場所が心に沁み渡って来るのです。

幸せについて

人が幸せに暮らしていくという場合の「幸せ」について、今の私はそれを「満ち足りること」であると感じています。この「満ち足りる」というのは人が欲しがる何もかもを自分の物として「所有」することにあるのではなくて、「足りる」「自足する」という所に重点があります。
例えば山で覆われた里に身をおくと、その閉ざされた閑寂さの中で自らの存在が次第に顕わになってきます。その中で自分の意識の顕現と向き合うと、自らにとって本当に大切な物、進むべき道というものが見えてきます。おそらくそのものは自分が街の中で抱えている形よりも遙かに簡素なもので、何もかにもというものではありません。
如何にして生きていくべきか。今年の冬休みは長く取る事が出来たので、閑寂なところでじっくり自分と向き合うつもりです。

園田の居に帰りて

私の田舎は、山に囲まれたのどかなところです。

園田の居に帰りて (陶淵明


  その一


少(わか)くして俗(ぞく)に適(てき)する韻(いん)無く
性(せい) 本(もと) 邱山(きゆうざん)を愛す
誤って塵網(じんもう)の中に落ち
一去(いつきよ) 三十年
羈鳥(きちよう) 旧林(きゆうりん)を恋い
池魚(ちぎよ) 故淵(こえん)を思う
荒(こう)を開く 南夜(なんや)の際(さい)
拙(せつ)を守って園田(えんでん)に帰る
方宅(ほうたく) 十余畝(じゆうよほ)
草屋(そうおく) 八九(はちく)間(けん)
楡柳(ゆりゆう) 後(こう)えんを蔭(おお)い
桃李(とうり) 堂前(どうぜん)に羅(つら)なる
曖曖(あいあい)たり 遠人(えんじん)の村
衣衣(いい)たり 墟里(きより)の煙(けむり)
狗(いぬ)は吠(ほ)ゆ 深巷(しんこう)の中(うち)
鶏(とり)は鳴く 桑樹(そうじゆ)の巓(いただき)
戸庭(こてい)に塵雑(じんざつ)無く
虚室(きよしつ)に余間(よかん)有り
久(ひさ)しくはんろうの裏(うち)に在りしも
復(ま)た自然に返るを得たり