空を指している

イチョウ

プラタナス

今年は例年になく雪が多く、とても寒い冬のようです。私の故郷の方は例年2月頃にならないと雪が積もらないのですが、今年は毎朝起きると必ずといっていいほど雪が降っており、そしてその雪は少しずつ重みを増しているようでした。
私はその故郷をUターンラッシュのピークが過ぎてから立ち去り、また変わらない日常に戻りました。東北に比べて温かいはずの日比谷の街も私の薄いスーツではとても冷たく感じるものです。
しばらくぶりに日比谷公園を歩くと、ケヤキイチョウの木はすっかり葉を落としています。秋の初め、最初に色を変え始めたのはプラタナスでした。そしてその次に変わり始めたのがケヤキ、そして最後まで緑だったのがイチョウでした。しかしこうやって秋が終わり冬になってみると、色付き始めの順序とは逆にプラタナスの木だけがまだ少しだけ葉を残しています。

自然の本質

この中に立って裸になった木を見てみると、不思議と枝がみんな上を向いていることに気がつきます。
暑い季節−葉が茂って木の枝は覆われいる時、実りの季節−重たげな実を下げている時、私は木が私の方を向いているように感じていました。そして私はその下のベンチでお昼寝をしたり、顕わになった木の根の辺りで形の良いドングリを探したりしました。
しかしこうやって何もかも無くなってみると、木はやっぱり上を向いているのだということが分かります。
つまり、木はそれぞれがみんな上を向いているのです。しかし、私達の方では木がこちらを向いて安らぎを与えてくれているように思えます。そして、木は私達よりも長くこの世界にあり続ける事ができるのです。
この木の姿はとても大切な事で、ここに自然というものの本質があるように思います。

そらをさしているのにおどろいた

無題 (八木重吉



森へはいりこむと

いまさらながら

ものというものが

みいんな

そらをさし

そらをさしているのにおどろいた