かなしくなったときは(1)〜休日〜

gravity22006-06-10

休日のぶらつき先は

GWも暦通りに終わり、私はまたもとの仕事に追われる昼と、詩と文章を推敲する静かな夜に戻りました。そして、休日もまた同じように、私はその夜の秘密の営みを太陽の下にまで押し広げて、こうして何かを書いていたりするわけです。
では、ずっと狭い部屋の畳の上で、そのままノートや本に向き合っているかというと、どうにもそういう風ではなくて、その日の気温が一番高くなり、太陽が傾き始める頃になると、私はだんだんと窓の外が気になるようになり(もっとも窓の外は、前のマンションの壁しか見えないのですが)、次第に頭の中には、どこかの漠然とした風景が浮かぶようになってくるのです。
例えばそれは、山の頂上付近の岩稜で、露岩に裸根をからめて立っているブナの、その幹から上の貞潔な枝振りの具合や、そこから振り返った眼下に広がっている、悠々と見事に整ったマス目模様の水田では、新しい苗が順々に植えられているはずとか、そういうことなのです。
しかし、そういう時間はたいていもう昼過ぎですから、そこから準備を始めて山登りに出かけることも、あるいはどこか遠くまで電車に乗って長閑な農村の風景を眺めるハイキングも、夜にはお金がないので帰ることを考えるとそういう気にはなれません。
ですから、そういう時の私のぶらつき先というのは、身近なところにある公園であり、それは北浦和公園であるとか、王子の飛鳥山公園であるとか、あるいはそれより少し離れた先にある上野公園であるとか、そういった博物館や美術館も備えてある公園なのです。
そして、先日のその日も同じように、部屋に差し込む光は程良い優しさの空模様を伝えており、また私自身の中にも、最近姿を見かけるようになった椋鳥の鳴き声が気になってきたので、今週もどこかをぶらつこうと、ナスカ展以来足を運んでいない上野公園に出かけることにしました。

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