貧しき信徒

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こどもが病む

こどもが せきをする
このせきを癒《なお》さうとおもふだけになる
じぶんの顔が
巨《おお》きな顔になつたような気がして
こどもの上に掩《おお》ひかぶさらうとする

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赤い寝衣

湯あがりの桃子は赤いねまきを着て
おしやべりしながら
ふとんのあたりを跳《は》ねまわつてゐた
まつ赤《か》なからだの上したへ手と足とがとびだして
くるつときりようのいい顔をのせ
ひよこひよこおどつてゐたが
もうしづかな障子のそばへねむつてゐる

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奇蹟

癩病《らいびよう》の男が
基督《キリスト》のところへ来て拝《おが》んでゐる
旦那《だんな》
おめえ様が癒《なお》してやつてくれべいとせえ思やあ
わしの病気やすぐ癒りまさあ
旦那なほしておくんなせい
拝むから 旦那 癒してやつておくんなせい 旦那
基督は悲しいお顔をなさつた
そしてその男のからだへさはつて
よし さあ潔《きよ》くなれ
とお言いになると
見てゐるまに癩病が癒つた

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人形

ねころんでゐたらば
うまのりになつてゐた桃子が
そつとせなかへ人形をのせていつてしまつた
うたをうたひながらあつちへいつてしまつた
そのささやかな人形のおもみがうれしくて
はらばひになつたまま
胸をふくらませてみたりつぼめたりしてゐた

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大山とんぼ

大山とんぼを 知つてるか
くろくて 巨《おお》きくて すごいようだ
けふ
昼 ひなか
くやしいことをきいたので
赤んぼを抱《だ》いてでたらば
大山とんぼが 路《みち》にうかんでた
みし みし とあつちへゆくので
わたしもぐんぐんくつついていつた

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冬になつて
こんな静かな日はめつたにない
桃子をつれて出たらば
櫟林《くぬぎばやし》のはづれで
子供はひとりでに踊りはじめた
両手をくくれた顎《あご》のあたりでまわしながら
毛糸の真紅《しんく》の頭巾《ずきん》をかぶつて首をかしげ
しきりにひよこんひよこんやつてゐる
ふくらんで着こんだ着物に染めてある
鳳凰《ほうおう》の赤い模様があかるい
きつく死をみつめた私のこころは
桃子がおどるのを見てうれしかつた

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こども

丘があつて
はたけが あつて
ほそい木が
ひよろひよろつと まばらにはえてる
まるいような
春の ひるすぎ
きたないこどもが
くりくりと
めだまをむいて こつちをみてる

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水や草は いい方方である

はつ夏の
さむいひかげに田圃《たんぼ》がある
そのまわりに
ちさい ながれがある
草が 水のそばにはえてる
みいんな いいかたがたばかりだ
わたしみたいなものは
顔がなくなるようなきがした

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眼がさめたように
梅にも梅自身の気持がわかつて来て
そう思つてゐるうちに花が咲いたのだろう
そして
寒い朝霜がでるように
梅自からの気持がそのまま香《におい》にもなるのだろう

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無題

夢の中の自分の顔と言うものを始めて見た
発熱がいく日《にち》もつづいた夜
私はキリストを念じてねむつた
一つの顔があらわれた
それはもちろん
現在の私の顔でもなく
幼ない時の自分の顔でもなく
いつも心にゑがいてゐる
最も気高い天使の顔でもなかつた
それよりももつとすぐれた顔であつた
その顔が自分の顔であるといふことはおのづから分つた

顔のまわりは金色《きんいろ》をおびた暗黒であつた
翌朝眼がさめたとき
別段熱は下《さが》つてゐなかつた
しかし不思議に私の心は平らかだつた

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ルビは《》で示した。
傍点は太字で示した。
横線はアンダーラインで示した。
旧字の一部は現代表記になおした。
底本:「八木重吉全集第二巻」筑摩書房(昭和57年)
初出:「貧しき信徒」野菊社(昭和3年)