海豹

わたしは遠い田舎の方から
海豹《あざらし》のやうに来たものです。
わたしの国では麦が実り
田畑がいちめんにつながつてゐる。
どこをほつつき歩いたところで
猫の子いつぴき居るのでない
ひようひようといふ風にふかれて
野山で口笛を吹いている私だ。
なんたる哀せつの生活だらう。
ぶなや楡《にれ》の木にも別れをつげ
それから毛布に荷物をくるんで
わたしはぼんやりと出かけてきた。
うすく桜の咲くころ
都会の白つぽい街路の上を
わたしの人力車が走つて行く。
さうしてパノラマ館の塔の上には
ぺんぺんとする小旗《こばた》を掲げ
円頂塔《どうむ》や煙突の屋根をこえて
さうめいに晴れた青空をみた。

ああ 人生はどこを向いても
いちめんに麦のながれるやうで
遠く田舎のさびしさがつづいてゐる。
どこにもこれといふ仕事がなく
つかれた無職者のひもじさから
きたない公園のベンチに坐つて
わたしは海豹のやうに嘆息《たんそく》した。