life is lovely

5月から、YAMAHA大人のピアノ教室に通い始めている。もちろん初めてであり、月に2回のグループレッスンであるのでまだあまり進んでいない。指の番号が書いてある楽譜を読んで、やっとこさ音を鳴らしている所である。最近登場した両手で別の動きをしなければいけない動作は、普段のパソコン入力で手馴れているはずであるが、勝手が違い両方同じ様に動いてしまう。そのような状態である。
ピアノのレッスンをおえて帰宅すると、注文していた本が届いていた。最近若くしてお亡くなりになった岡崎律子さんの楽譜集「岡崎律子ピアノ・ソロ・アルバム『life is lovely+BEST』―やさしく弾ける」である。岡崎律子*1さんは声優さんに多くの曲を提供すると共に、自らも歌手活動を行い、フルーツバスケットのOPや、メロキュアのユニットなどで一部の人たちに知られている。
その中から、私の好きな一曲「セレナーデ」の楽譜を開き歌詞を指でなぞると、岡崎さんの囁くような歌声が聞こえてくる。「君が笑うと それだけでも嬉しくて 全てが報われるんだ うつむいてた日は ここから見てたのはぬかるみ でもいまは空を見上げてる」何も持っていない私の空虚な心も、土に植えた花の苗が、春の日差しのなかで育っていくのを感じていくような気持ちになってくる。このような歌詞は、本当にやさしさを求めていて、(得られなかったとしても逆に)それを差し伸べようとしている人にしか創り出せないのだろかと、自分の詩を振り返り考えたりした。
歌詞の言葉をそのまま取ると、君の笑いが必要になるのだが、笑いかけてくれる人もいないし、テレビのアーティストの様なやかましいタイプが嫌いな私。どこに現実の対象を見出すのかと言うと、庭に置いている鉢植えにである。5月の終わりに3年目になる種をまき、なかなか花が咲かなかったが、8月の始めから大輪の花を見せるようになった朝顔。夜にはしぼんでいるのだが、夕食時部屋に入れて眺めていたりする。
机にカシオトーンを準備して楽譜を置き、とりあえず右手の楽譜を読んで弾いて見たが、いかんせん私のレベルでは、一音を調べ(読み取り)一音を弾いているので、一つずつ別の曲になってしまう。とりあえず今日のところは弾くのはやめにして、CDをかけ歌詞をなぞり、未来の自分が少しでも弾けることを夢見て、眠りにつくことにした。明日もがんばろうと。