石神の丘美術館:岩手町

いわて沼宮内で電車を降り、石神の丘美術館へと向かう。ここ岩手町は、黒御影石が産出され、石彫に力を入れている。御影石とは、御影地方(兵庫県六甲山ふもと)が産地として有名な花崗岩質岩石の石材名であり、庭石・墓石や石造品に多く用いられている石である。この町では、昭和48年から国際石彫シンポジウムを行い、海外の参加者を含む彫刻家に町産の黒御影石を使用して夏の約1カ月公開制作を行って、その作品を役場近くの彫刻公園や町並みになどに設置している(詳細は岩手町HPhttp://www.town.iwate.iwate.jp/k/02.html)。
今回はその一つ、石神の丘美術館(http://museum.ishigami-iwate.jp/)の屋外展示場を散策した(「石神」という言葉については、何かあるのではないかと思いインターネットを散策してみたが残念ながら見つからなかった。)。場所はわかりやすい。駅を出て、学校のある右側の高台の方へ道路沿いに歩いていくと、芝生が丘へと続き石彫が点在する。ラベンダー畑もあり、6−7月であれば駅から紫の丘が見渡せるのではないだろうか。さらに登っていくと、美術館と併設で道の駅と物産館がある。物産館では産直の野菜をはじめ、お土産物も販売しており、晩酌の枝豆とブルーベリーワインを購入(野菜はかなり安い)。ちなみに、ブルーべりーが名産のようで、ブルーべりーカレーを目玉にしていた。このカレーはレストランでも食べられる。
さて、目的の屋外展示場は裏手の高台になる。企画展を行う建物で、大人100円を払い森へと進んでいく。入り口を出るとすぐに、森林県岩手を象徴するような石彫に出会う。タイトルは「森の友達」(作:北田 吉正)、大きな目を持つおかっぱ頭の童女の上に、ふくろうが乗りっている(作品については石神の丘美術館のページを参照されたし)。森に住み動物や鳥と会話をする能力を持つ、時には集落の近くに降りて子供達と遊んだりする、そんな森の精霊的なイメージが私の脳裏に浮かぶ。さらに私なら、この石像をどいう所に置いてみたいかなども考えてた。人と森の間、木の葉が積もり、しかし草のあまり生えていない、地表の茶色も見える細い山道、道を挟む森を見ると奥は深く、音も吸い込まれていくような深山へと続いている。道の脇、2つの木々の間、そう、いくつもの枝が分かれ、葉の生い茂るよな木々の下に、ふと友達が現れる。そんな所に置いてみたいと、想像していた。
一つの作品について感想を述べたが、それぞれに感想を述べていくのは、読むほうからするとうっとうしいだろうし、よけいな先入観を生むことになるのでやめておく。作品そのものはHPで見られる。ただ、HPで見るのと、実際に見るのでは異なるので、興味をもたれたかたは、ぜひ出かけることをお勧めする。料金も100円と格安である(現地にいくのにお金がかさみそうだが)。人間の目は2つあり、奥行きも判断できる、また実際触ったりして、彫刻のラインを追ってみたり、肌触りを感じてみたりするのも作品を理解する上では重要である。絵画とは、その鑑賞法は異なるであろう。また、この展示場の中には、岩手山姫神山を眺めることができる展望台もあり、お勧めである。
一通り見学して見て、このように石彫を一度にたくさん感じることができるのは初めてであった。石は、当たり前であるが硬い。つまり、時間の感覚が人間や植物・動物とは異なる。数日で羽ばたく命を失う蝶、一年ごとに目覚めては消えてゆく草花、やがては老いてゆく人、自然の厳しさに耐えながら生き続ける木々、さらにそのさきの時間を持つ者である。森の友達も私達の世界を悠久に見続けるている。その違いにより、テーマも輪廻や永遠、霊的など私の心を日頃から捉えてやまない事柄が作品に織り込まれており、心捕らわれて、興奮し、その後の会議で説明する資料の内容について、だいぶ的外れな所に力点を置いてしまったような気がする程である。ここで生まれた創作意欲を再び生み出すために、今もこうしてその時の思いを文章につづっている。大江健三郎さんが自分の本で述べていたが「今、書かなくては忘れてしまう」のである。すぐに創作に入らず、会社に通い続けるところに私の限界が感じられてならないのだが・・・
ぜひ、今度は出張のついでではなく、そのためだけに出かけたいと思う。町を散策していけば、他の彫刻にも出会えそうであることだし。