心変わりの樹

物理棟入り口のすぐ脇に、小ぶりだが、枝を広げたモミジの樹がある


「なぜこうなったの」
5月の風に訊《き》かれたとしたら
私はそう答えよう
「ただ美しかったから」と
それでよいのです、と

あの時、傾きかけた日差しの下で
誰かが建物に入って行った
幾人か建物から出て行った
何かが後ろを通って行った
不思議そうに一目見て過ぎ去った
私とその先のモミジを

ほっそりとした幹と、か細い枝へ
風が語りかけるたびに
彼女は空へそよぎ
私に無数の手と手の平を振って
ささやきかけてきた


朱(あか)い、茜(あか)い、紅(あか)い日だった
夕日はいつまでもあたたかみを残し
色づいた奥羽《おうう》の峰々より
しだいに増してくるこの光を
私のなで肩《がた》の背中から
この白かった両腕へと集め
彼女へと差し出した
足先にも触れない所から

その時、色は東から波紋《はもん》のように囚《とら》われていき
暗闇と白色灯へと何も色づかなくなっていった
たそがれ時は私の心を知っている
友人だからだ
君の心を忘れたわけではない
私はそう生きることを決めている
あの果ての空へ、かえると

そして、私は建物へと入っていった


    (2004.10.27)
 会津へ紀行する途中の車内で、色づき始めた土手の草木を眺めていた。ふと、俳句や詩へと心を動かされていった学生時代の時が思い出され、好きだった旧物理A棟の前のモミジの樹を思って