歴史について:横手市(2)

横手に着き、重たい荷物をコインロッカーに入れて外に出る。もちろんここでもうっすらと雪が降っている。雪の積もり方は大曲より横手のほうが多い、駅前の建物の屋根に5人ぐらいが上り、雪下ろしをしている姿が見受けられる。ロータリーには「北国のメルヘンかまくらの里」という観光案内板が見える。ここ横手は、かまくらで有名なのである。ここには、一年中かまくらを体験できる施設がある、との事なのでそこへと向かう。「雪の降る町を」でも口ずさんで歩くが、あの歌の舞台は山形県鶴岡市であった。10分ほどで着き、雪を払って施設内に入る。さて、散々かまくらを目指しているなどと書いておいて悪いのだが、結局ここではかまくらは体験できなかった。丁度かまくらを作り直しており入れないのである。運が悪い、何しに来ているのかわからない。仕方がないので歴史ライブラリーなどを見ながらうろうろする。
ここ横手の地は、後三年の役の舞台である。後三年の役とは、1083-1087年の平安時代において、出羽・陸奥の国に勢力を誇っていた清原氏の内紛に、源義家が介入し、藤原清衡とともに清原氏を滅ぼした争いである。東北地方はかつて、中央に反抗する蝦夷の地としてさげすまれ、中央もまた従わせるのが難しい場所として、地域で勢力を誇っていた豪族が利権を握っていた。しかし、豊富な鉱山資源や強靭な馬、肥沃で広大な土地と農産物がある魅力あふれる土地であり、源氏はこれを狙っていた。そして、陸奥の国守源義家は、清原氏の内紛に乗じて藤原清衡を味方につけ、清原氏を滅ぼす。だが源義家は朝廷から、清原氏の内紛に私事で介入したとみなされ、奥羽の地を去ることになり、清衡が藤原三代の栄華の基礎を築くというわけである。清衡自身は清原家の血を継いでおり、前九年の役といい、血縁関係で血みどろの争いを繰り返してきた後で、中尊寺金色堂などは平和への願いがこめられて作られていると、何処かで読んだことがある。まあ、その後は大河ドラマで触れるでしょう。
こうやって歴史を見ていくと、「いい国作ろう鎌倉幕府」も、ろくなものではないと思えてくるわけで、東北の歴史は常に征服される歴史であり、また中央への反抗の歴史でもあるわけです。太宰治津軽にもそのようなことが書いてあって、とても東北人の私としては反抗精神を鼓舞されるところであります。今度東京の親会社から発注がきたら何か反抗してやろうかなと、ろくでもないことを思い浮かんだりして。その時の台詞としては、「何でそんな中央の言うことが聞けないのか」と言われたとして、「東北に生まれたんだから中央に反抗するのは当然だろう。東北が逆らわなかったら日本のどこが逆らうんだ」といつか言ってみたいです。一度東北の中央への反抗の歴史などを追ってみたいですね。何か良い本あるかな、ものすごく分厚い本になるだろうけど。