車内にて:青森

弘前往きの五能線に乗ると、車内は暖房が効いて暖かく、程よく揺られ寝てる間に弘前へと着いた。ここからは特急津軽へと乗り換えて、八戸へと向かう。新幹線よりも大きな窓の列車で景色が良く見える、それに座席もこちらのほうが座り心地が良い。仙台まで帰るなら、弘前ー盛岡間を高速バスに乗ってから新幹線に乗ったほうが安くて近いのだが、青森回りは初めてなので乗車している。
旅の間ずっとだが、雲に隠れて津軽の主峰岩木山を見ることは出来ない。太宰治の「津軽」によると、岩木山が美しく見える所では、米がおいしく美人が多いという話があるそうだ。とりあえず岩木山は見えないし、確かめるためには太宰治の金木町を含む半島の方にまで手を伸ばさなくては行けないので確かめようがない。私は男なので美人が多いという話しか乗せていないが、どこかには美男が多いと言う土地もきっとあるのだろう。なんとなく、旅をし難いような気がしてならない。
津軽の中心である弘前を過ぎ、青森に着くと進行方向が変わる。秋田新幹線の大曲でも同じことが起こるのだが、眉毛を左から右へなぞっていくように、今までシートに後ろ行きに走っていた列車は、シートの方向に走り始める。どうも私はこれになじめず、外との出入り口のところに立っていた。車掌さんはシートを回しても良いと言うが、4人のボックス席になって他人と向き合ってしまうのは気まずい。ここになって、ふらついて食べ物を受け付けなかった胃袋が動き始めた。冷めた弁当は好きではないので、ホームの蕎麦屋でおでん串を2本購入した。おでんの汁に辛子味噌のたれが食欲をそそる。揚げの中のうずらの卵の君がとろけてうまい。益々おなかがすくが、ここで止めておこう。飲みすぎた後の胃は弱い。
青森を過ぎると、再び一面雪色の景色が広がる。一面に白い景色というのも不思議なものである。さまざまな色でもって構成されているはずの町が、白く覆われてしまうのである。かといって悲しいと言うわけではない、純白で美しいのである。学校の校舎のように、色に乏しく居心地が悪いといった印象はこの世界にはない。
南の方の人のいない島で景色を見ると言うのはこういうものなのだろうか。低い島のほかは、マリンブルーの海と空の青さである。といっても、その景色の色を同じ色に感じているわけではないだろう。それぞれ微妙な色の違いがあり、それを人は捕らえることが出来る。以前に本で読んだが、日本人は緑色を捕らえる能力に優れているらしく、それは森林が多いからだろうか。南の島ではさまざまな青色を、北の国ではさまざまな白色を捕らえる能力に優れているのだろうか? 誰か知っていたら教えて欲しい。ちなみに本州で一番森林面積が広いのは岩手県である。
野辺地の辺りでは、凍りついた海を左手にしながら列車が進んでいる。鎌の形をしていると言う下北半島が、だんだんと近くに見えてきた。海の先には峻嶺な山々が頂を白く染めている。遠くから見る山は蒼い。太宰治は風景について、風景とは人が入って初めて温かみも出てくるのであって、人の手の入っていない場所というのは、唯恐ろしい、と述べている。もちろん人がたくさん住んでいることは重々承知しているのであるが、私がみる下北半島は、そのような人の世界ではない場所に見え、そして、涙を流すほど美しい。私のつたない文章力ではその美しさを表すことが出来ないのであるが、海の深い群青色、淡い山脈の蒼、頂の白さ、薄く散った空の青さ。それらの心象風景は、一人歩んでいく旅人に、新たな道を開くための示唆を与えるだろう。