編集後記

 この度、仕事の関係により仙台から埼玉へと引っ越すこととなり、東北を離れることとなった。私は主として詩を、地域の風土から得た物により創作しているため、大きく拠点が変わる今回を一つの区切りとすることとした。
 そのなかでもここに掲載の詩は、2003年1月から2005年3月までに創作した詩であり、初期の詩と他の2詩集に載せた詩の残りの断片である。
 詩作自体は、3年ほど前から始めているのであるが、しっかりと原稿に残っている物は1年前の詩から、断片として紙に残っている物は2年ほど前の作品からしかない。紙に走り書きした物でも、仕事中に感覚を受けてメモした物でも、私から出た物であるからして、しっかり保存しておけるようにしていきたい。
 始めの1・2年はそれこそ試行錯誤で、過去の偉大な詩人達の詩を何度も読み返し、好きな詩人の詩から感じられる音のリズムと表現の方法などを体ににじませて、まねごとの様に詩を詠み始めた。しかしここ1・2年は、自分の見つけた世界の姿や衝動などを、読み取った世界からリズムとし、また時には戦わせて新しい表現を創っているところである。
 初期の詩を見ると、誰のどの詩から影響を受けて創作したか、と言うことが明確になる程のまねごとであり大変恥ずかしい。しかし、そういった詩の歴史を追っていると言うことでもあるので、あえて残すこととする。
 詩を書き始めた動機というのは、他の人の詩を詠んでいるうちに自分も詠みたくなったと言うことではない。東北の森や山などの自然から息を吸うように自然に取り入れた物が、自分の爪先から頭までに深く染みついて巡り来て、そして自分の体を通じて外に出てくる物をどうやって表現していけばいいのかという手段として詩を選んだ。
 そして、偉大なる詩人の詩に触れることによって、その方法を少しずつ学んでいる。初期に、初期時に読み込んでいた詩人は、萩原朔太郎中原中也である。

    (2005.3.31)