緑なすはこべは萌えず

タンポポ


私のプロフィールに書いたが、河原でたそがれることが趣味の一つであり、そのためには河原に出かけなくてはならない。幸い今日は天気が良い。河原はたそがれる以外に、昼寝をしたり読書をしたりと、私にとっての効用は高い。
仙台では、名取川の太白大橋近くの中州を私の場所と定め、定位置としていたのだが、そこは烏にでも名も無き草にでも譲るとして、新しい場所の開拓へと向かう。
幸い新しく住んでいる所も、川からそんなには離れていない。地図を見るまでもなく、帰りの電車の車内から川が見えるので、線路に沿って走ればよい。自転車に乗って10分ぐらいだろうか、名取川よりも遥かに水量の多い荒川へと辿り着く。
河原沿いに公園が出来ており、すっかり整備されグラウンドとなっている。草もあまり生えておらず、木にいたっては数えられるほどである。河原はもっと、ほっぽっとかれて、生態系のなすままに木が生えている場所だと思うのだが、かなりさみしい。まるで、オフィスビル中心の公園のようである。
そして、河原周辺が整備されてしまっていると言うことは、もちろん砂地となっているような部分はない。川の近くによって見ると、ヘドロだろうか、微妙な匂いだ漂ってくる。かといってグラウンドなどで寝たら、いつ野球ボールに踏まれるかわかったものではない。寝そべれるところは土手しかない。
それで土手へ寝転んだのだが、敷くほど草が無い。あまりに踏まれすぎたのだろうか、タンポポの花だけが土から生えているように低く開いている。藤村的に言うと「緑なすはこべは萌えず 若草も籍くによしなし(小諸なる古城のほとり)」だろうか。
結局土手で終始寝転んで、太宰の人間失格を読んでいた。こっちに来て思ったのだが、本を処分しすぎたようだ。話を書いたり詩を作ったりする上で、調べたり引いたりする本を中心に品揃えしたため、普段読む本があまりに少なくなってしまった。小説の単行本にいたっては、かさばるから文庫本として新しく買おうと、文庫本になっているかも確かめずすべて売ってしまった。
かといって四畳半の部屋。これ以上物を増やすのも問題である。本を沢山持っている人は、本を買うお金があるから金持ちなのではなく、本を置くスペースがあるから金持ちなんだと思う。
話を戻すが、今日出かけた土手は家から一番近い位置の土手である。残念ながら私が毎週を過ごす場所としては自然の力が足りない。次は、少し川を下るか上るかして、緑なす場所を探そうと思う。