パパラギの公園について

昭和記念公園


知らない土地で一人、ふるさとを離れ暮らすのはさびしいものである。先月まで毎週の様に会っていた友人と別れ、なれない職場にて日々を送る。しかし数年前にもまた、そのようにして別の友人は東京に出ていった。今日はそんな昔の友人たちと再会すべく、電車へと乗り込んだ。
私達の付き合いというのは、至極さりげないものである。なにか大騒ぎをしたりとか、どこぞのイベントへと共に行くようなものではない。ただ静かな場所にて、酒を酌み交わしたり話をしたりといったところだ。そういう所へと出かけたいのであるが、東京でそんなところといったら奥多摩の山奥ぐらいしかない。
なら行けばいいと思うのだろうが、集まる3人の住んでいる場所が、東京・千葉・埼玉と三角形の頂点になるように住んでいるのだからたちが悪い。そこで今日は、みんなからそんなに遠くない所で昭和記念公園へと出かけてきた。子供の頃の記憶では、原っぱが広かったことだけは覚えている。
立川駅で降りて公園へと向かう。前の日記にも書いたのだが、公園は静かな場所であってほしい。やはり東京でそんなことを望むことが無理なのだろう。公園へと向かう人が、ぞろぞろと駅から歩いて進んでいく。お金を取る上に、人がいっぱいとは頭に来る話だ。東京では静かな場所へ行くのにお金がかかる。東北ではそんなことに金はかからない。
昔何かで読んだ話である。南の島に、ある金持ちな人がやってきた。島の人はうらやましがってその人に、「あなたはお金を持っていてうらやましい、こんな遠くの島まで来れるお金を持っている」と言ったそうだ。ところがそのお金持ちの人は言い返した、「そうではない。私はこの美しい自然のある所に来るのに、人ごみの中であくせく働いてお金を貯めなくてはならなかった。あなた達は、最初からここにいられる」と。記憶があいまいで、一部誇張しているかもしれないが、そのような話だったと思う。
他にそういう都会や文明を皮肉った話では、「パパラギ」という本がある。これはお勧めだ。南海の酋長ツイアビがはじめて文明をみて、さまざまな社会の仕組みを皮肉っていく話だ。私達が普段行っている行動も、社会のシステムの中だから普通にしている事であり、そのシステムの外の人から客観的に見れば矛盾し・不可思議なことは数多い。例えば一つ例を上げよう。「ドイツの石の割れ目(家のこと)へ行くと、絶え間なくひとつの叫び声が聞こえる。「マルク!」そしてまたその叫び、「マルク!」どこでもこの叫び声が聞こえる。〜つまりみな、金、金、金。お金だけがパパラギ(白人のこと)の本当の神様だ。そう、私たちが、いと高きものとあがめる神が金なのだ。」

パパラギ―はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集

パパラギ―はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集

 
絵本 パパラギ―はじめて文明を見た南の島の酋長ツイアビが話したこと

絵本 パパラギ―はじめて文明を見た南の島の酋長ツイアビが話したこと

 
まあ、話がずれてきたが、他ではお金のかからないことに、東京ではお金がかかると言うことだ。ちなみに東京で本当の青い空を見ようと思えば、東北新幹線に乗って郡山まで行き、東北本線に乗り換えて二本松で降りて安達太良山に行かなくてはいけない。平均賃金の額も高いらしいが、費やさなければならない費用も高くなるというのが東京なのだろう。2年後に帰ったら、地方からみた東京の不思議でも書いてみようかな。
本題に入ってないような気がするが、次回にする。