神谷バーにて

土曜の夜、かつての学生寮の友人3人で神谷バーへと出かけた。ここ神谷バーは、電氣ぶらん発祥の店として有名な所である。電氣ブランについては神谷バーのHPから説明を借用しよう。
電氣ブランとは、ブランデーをベースにジン、ワインキュラソー、薬草などをブレンドしたカクテルである。明治時代、まだ電氣が新しかった頃、目新しい物は”電氣○○○”などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めていた。目新しい電氣という響きとブランデーのブランを合わせ、アルコール45度(当時)のお酒が電氣ブランである。現在は30度と40度がある。
私がこの酒を初めて飲んだのは、つい2年前である。友人(共に神谷バーに出かけた一人)が焼鳥屋で安くてうまい酒を見つけたと言い、酒屋でその酒を買って来た。ラベルを見ると浅草ロマンと説明があり、ガラス瓶越しに見える琥珀色の光が、今では聞かなくなったハイカラという言葉を連想させる。電氣というインフラは今日、日本中に張り巡らされ目新しさも珍しさもない。しかし、電氣という言葉とカタカナの組み合わせには、何か時代の懐かしさとおもしろさを感じる。電氣ラジカセ、電子レンジなど。
いつもは陶器に酒を注ぐのであるが、色を楽しむため透明なコップへと電氣ブランを注ぐ。ドクドクと、甘い香りが鼻につく。酒の味を見るためには、ストレートで何も足さずに飲まなくてはならない。舌へ電氣ブランを注ぐ。濃い甘さが舌の中へと染み込む。さらに奥へと進む。柔らかい喉の粘膜を熱くし、体の内側へと流れていく。そしてその熱さのまま腹へと収まる。改めて電氣ブランの瓶を取り、やるなこいつという風に少し傾けた。
そのような出会いから、主に友人宅で電氣ブランを飲み続けていたが、縁合ってここ神谷バーへと来ることになった。浅草ロマンといううんちくの通り、場所は浅草にある。そこから少し歩けばあの有名な浅草雷門があり、人形焼きや手焼きせんべい、下町の民芸品などが並ぶ仲見世商店街が続き、宝蔵門、五重塔へと至る。
そんな駅前の一角、3階建ての煉瓦造り、横文字で神谷バーとある。店へと入ると入口の店員は、今で言うバーテンダーの様な黒と白の服装で客を迎えている。まだ18時だと言うのに、電氣ブランが深く染みついたようなテーブル席の店内は、グラスを傾ける客で溢れている。所狭しとテーブルを取り囲んだ椅子には、常連らしき客が座り、他のテーブルを行ったり来たりしながら酒を飲んでいる。
「3人」とウェイターに言ったがシステムが違うようで、自分で空いている席を確保して注文しなくてはならない。3人座れる席を探して店内を歩くが空いている席はない。おまけにどのテーブルを見ても、数分で空くような感じではない。外からは新しく入ってきた客が、諦めてドアを閉めて帰っていく。人が酒を飲んでいるのを眺めているのは恨めしいので出直すこととした。
しばらく時間をつぶそうと、これもまた下町の食べ物であるもんじゃ焼き屋へと入る。昔は駄菓子屋の奥で売っていたそうだが、入ったのは普通のお好み焼き屋である。もんじゃ焼きの食べ方が分かっている友人に作ってもらい、ぐちゃぐちゃした食べ物をへらで鉄板へこすり付けて焼き、張り付いたところを口に運ぶ。まさしくジャンクフードである。おいしい。ちなみに分量を増やすためには、うまい棒を粉々にして入れるそうだ。
2時間後の20時、再挑戦。依然として店内は混んでいる。しかし六人用のテーブルの3つの椅子が空いていたので、所狭しと座り電氣ブランを注文した。50ccぐらいだろうか、上に口が開いた首の細いグラスに電氣ブランが注がれている。こういうグラスを傾けて飲むのかと感心しながらグビットやる。おあずけ食らっていただけあって、喉に染みる酒がうまい。
店内には電氣ブランのショウケースがあり、30度と40度の電氣ブランが並んでいる。普段私のような貧乏人が入る店は、私よりも若い人で溢れている。そして若者の元気さは、発狂やカナきり声で、私達年寄りにはうるさく感じる。ところが此処では、私達はまだひよっこだ。白髪のおじいさん達が、話題を振りまきビールを飲んでいる。このビールも電氣ブランの濃い琥珀色と隣り合って、良い色合いをかもし出している。こういう状態を「賑わうっている」というのであろう。
先ほど通ってきた商店街も、このように賑わうっていた。昨今商店街が郊外型の大型店により廃れていく中で、大変めずらしく感じた。なぜ賑わうっていると思うか。それは、お年寄りが元気だからではなかろうか。若者の横をお年寄りが、手押し車を押して通り過ぎるのでなく、お年寄りこそが(年寄り扱いしたら怒られそうだが)この町の主役であり、町を引っ張っている最も元気な人達なのである。下町とはこういう場所なのかと、初めてその勢いに触れた。
戻って飲み物について話す。ここでは普通の店には無い、電氣ブランのカクテルがある。氣ブランサワー(電氣ブランとレモンの酸味)、電氣ソーダ(電氣ブランを炭酸で)、Denki Bran Fix(電氣ブランとチェリーブランデー)。わたしはソーダをのんだが、友人は他の2つを飲んでいた。少し飲ませてもらったが電気ブラン自体が甘くて濃いので、カクテルにすると味が混ざって強烈になり、なにか薬をのんでいるような不思議な味であった。まずくは無いのだが、こういう味はあっさりや爽快が好かれている今日、なかなかお目にかかれない。昔駄菓子屋で喜んで食べた、ゼリー状のお菓子のような味だった。他に特色としては、なぜかメニューに煮凝りがあり、食べたら異様にプリプリしていた。何が入っているのだろうか。
当初この異様な賑わいの中、当初私達3人は何を話したら良いだろうかと当惑気味だった。しかしいつものことながら、酒が入ってくると人間頭から浸透していくもので、なんだかんだ話をしながら賑わう集団に混じっていった。出来れば周りの人間達と話をして、色々下町のことを聞いてみたかった。向こうにとっても東北人は珍しいので会話は成り立つだろう。また、ここ神谷バーにはかつて文豪達が多く訪れたようである。ぜひあやかりたいものだ。私達の中で一人ぐらいは、何か世に作品を出したいものである。
最後に、今後初めて行く人のためにシステムを教えておこう。まず入ったら空いている席を探す。席がなければ入れないし注文も出来ない。席が決まったら入り口のレジに行き、最初の飲み物を含めた食券を買い、席に戻ってその食券をウェイターに渡す。すると注文したものが来るので好き勝手のみはじめる。次の注文からはウェイターに欲しいものを頼む。ここでは毎回精算制なのでウェイターにその分のお金を渡す。チップはいらない(たぶんいらないと思う)。これは自分の席に座ったままでよい。丁度でなくてもお金を渡せばお釣りを持ってきてくれる。出るときには何もなしに店を出ればよい。一回ずつ食券を買っているので清算は終わっている。さあ、ぜひでかけてみましょう。