ユートピア−友人の日記から

gravity22005-06-15


ユートピアとは理想郷の事で、大辞林によると、「理想郷。理想の国。空想上の理想的社会。どこにもない場所の意の造語」とある。旅をしている友人が日記(虚構の塔)で、ユートピアについての記述をしていたので引用する。

ユートピア
昨今理想の生活に、人里離れた田舎で晴耕雨読なんてありますね。農業という手法でこれを実現するには大体二種類あるでしょう。
□完全百姓型
食物からなにまで全部自給自足で行う。某DASH村みたいの、と言えばわかりやすいか。現実は電気ガス水道も支給されず現代人には苦しいかも。ていうか無理
□農業事業型
商品性の強い作物を作って現金収入を得る方法。ここY園芸もその傾向が強い。現実的ではあるが、経営者としての資質と経験、あと運も必要。
まあ勝手なこと書いてますが、農業自体はず〜っと前者から後者に流れてますね。そうこうして晴耕雨読の生活は難しくなる一方です。自分の気の合う仲間と楽しくやっていく理想郷をどこそこの土地に確立するのは難しいでしょう

ユートピア
永久的に、今の世を捨てて生きていくのは難しい。ならばユートピアを求める人はどうするか。
□自分が何故浮き世を離れたいかを見つめる。
仕事が嫌とか先が見えないとか、気の合う仲間がいないとか、いろいろありますな。本当に自分の嫌なもの、これは意外と一つだけで、他のファクターはそれにくっついて嫌に見えてくる、ような気がします。
□すくなくとも、気の合う仲間と楽しく過ごす空間としてのユートピア
を望むなら、定期的に集まれるようにするのが懸案でしょう。私は寮生時代に恵まれた環境(友人たち)に恵まれました。(また、旅を通してもたくさんの仲間ができましたよ)そういった人たちと今後も楽しくやる、その一時がユートピアなんでしょう。
ただし、過去を振り返り過ぎるのはやめた方がいいでしょうね。前に進めませんもん。

という文章である。彼は旅をしているが、ユートピアを探している青い鳥症候群の人間ではないので理想を語る必要はないが、文章を見る限りユートピアは、旅に出る前よりも遠のいた感がある。しかし彼は実際会社を辞めて旅をし、その過程で農作業にも従事しており、また、そこから旅の資金と食い扶持を得ているという実体験に基づく発言であり、これが現実と言うことでもある。
何か安易に理想郷を求めて走り出すなよ、と先に言われてしまったような感じがあるが、私の祖父は農業従事者であり、もはや誰も継ぐ事のない土地の草むしりに一年の大部分を過ごしている姿を見ている限り自分が農業というものに甘い考えを持っているわけではない。
私は母方の孫なので家を継ぐ系列とは異なり叔父が継ぐことになるのだが、伯父は残念ながら技術者として会社で働いていくことを選んだ。祖父は納得しなかったが、それは時代の流れであり、そういうものであるのかもしれないと受け入れたようだった。しかし祖父は、伯父が農業を継がなくても親類の誰かが土地を継ぐことになるとは思っていたようだった。
その後、学校を卒業してからずっと都内で会社員をしていた伯父は、実家に帰り農業を継ぐ事は考えていなかったが故郷には帰るつもりではあった。そして結婚をして行く年か経った後、故郷から通える支社を検討し、祖父の土地の一部に家を建て、一人暮らしている祖父の元に戻るという計画を立てていた。しかし、もはや受験と関わりがあるほど大きくなりすぎていた子供達と奥さんの反対にあって潰えたのである。
そしてその後祖父は、「戻ってくるんじゃない。たまに休みに来れば良いんだ」といって、もはや一人で残りを生きていく事を決めている。うちの母はもはや他所に嫁いだものとして、もはや帰ってくる者の数には入っていないようである。
そして私にも、「おまえも戻ってくるんじゃない。農業は残りの年寄りがやるものだ」と、いちよう生まれはその土地である私にもそのように何度となく繰り返した。しかしそんな祖父も、もはや年である。もはや諦めともつかない日々を送る中で、一人で暮らしていく事はやはり寂しい事のようだ。今回私が東北から関東に転勤になってしまった時には、母に電話をかけ、「○○がいってしまうんだよ。近くにいたのになあ、遠くになあ。さみしくなるなあ」と、私は祖父の家に住んでいたわけでも毎月出かけていたわけでもなく、東北にいようが関東にいようが帰る頻度はあまり変わっていなかっただのが、関東は祖父にとって遥か遠い土地であるように感じられるらしかった。
きっと同じような事例はあちこちで見られるのかもしれない。私はそういう場所が増えていくならば、もはやこの社会で行き場をなくした人間が生きれるような、受け入れられるような場所が地方にこそ作れる様な気がしていたが、もはや土地を耕すということが、生きてゆくという事に関して重要な要素ではなくなっている現在では、ユートピアを山の麓に求めても作りえないものであるのだろうか。何かそういうふうにして、生まれた場所が次第に諦めともつかない中で人に忘れられていくようなはかない場所になっていくのは、寂しいものがある。
私は子供のときから思っているのだが、この時代、根を生やせないアスファルトの上で生まれたような者達は、やがて土を求めてこの石と鉄の世界を捨て山や森へと移り住んでいくのではないかと考えていた。その過程の中で、さざれ石の様に組み立てられた都会は次第に衰え、やがて日の光と風により成り立つような平衡に帰っていくのが見られるのではないかと思っているのだが、改めて都会に戻ってみてもあの時と同じく、やがて衰えていくだろうという個人的な曖昧な思いのみであり、それは人の靴跡で駅のホームのクリーム色のタイルが、灰色に煤けて曇るぐらいの変化しか見られてはいない。私のここでの日々は、そのような終末を待っているような日々であるともいえる。
だんだん話がずれ、そして悲しみが増えてきた。当初は自分の理想郷について書き返そうと思ったのだが、あまり憂鬱にならずに終わらせることにしてしまおう。
結局現在においては、かつてよりも理想郷を作ろうとして農業を主体に置くと言うことがより難しくなっているのであり、それは私達の社会がより分業化、細分化されることによって、私達一人一人が自分が係わっている一部分以外の他の部分に深く依存せざるを得なくなっていると言うことである。つまり、私達が現在の電気・ガス・水道などのインフラを活用したまま晴耕雨読の生活を行おうとすれば、私達が普段生きるために食べている延長としての食べ物を多く栽培する事ではなく、商品価値の高い(それは作物を出荷する時期も含めて)物を市場のニーズに合わせて栽培して行かなくては、インフラを使うための資金を得ることが難しい。そしてそれはすでに晴耕雨読の世界とはほど遠い生活であることは言うまでもない。また、衣食住の食以外の部分についても当然必要になってくるので、負荷は増えてくる。
逆に、晴耕雨読の生活を行おうと思えば、それは、完全に社会の仕組みの外で暮らしていくと言うことになるのであろう。中途半端に社会に係わりたいと思っても、その社会で生きるための仕組みを受け入れなければならない。たとえば私はTシャツにサンダルの普段着で会社に言っても一向にかまわないのだが、会社の部屋には入れてもらえない。つまり、その場所でのルールを満たすために使っている費用は社会のために使っているような物であり、私の可処分所得とは言えない。それらは税金を引かれる対象の所得から省いてしかるべき物であると思う(またずれましたすいません)。なんなら裸の王様でも私は良い。そして完全に社会の外に出てしまったら、彼の現実的なユートピアである、気の合う仲間と楽しく過ごす空間というものからはズレテしまうことにもなる。社会の仕組みの外の場所に行くことは、共に行かない限り友人からも遠く離れると言うことである。
友人が述べた「気の合う仲間と楽しく過ごす空間としてのユートピア」は、「個人的な生活として目指すべき理想像=農業としての晴耕雨読」と「仲間と築きあげる場所としての理想像=友と築き上げる芸術的・文芸的空間」の間で、私は少し意外に感じてしまったのであるが、「気の合う仲間」という点に最も重点をおいて検討した現実的なユートピアということになのだろう。
しかし私の場合には、「個人的な生活としての目指すべき理想像」の方に天秤が傾き、誰もいない無人島で一人暮らすという、気の合う仲間を捨てる事になるのかもしれない。