朝の夢

日曜日のことである。私は夢の中で追われていた。何に追われていたかと言うことは、今では思い出せない。しかし、ただ何かに追われていた。何本かの手に、片足を何度も夢の中の得体の知れないものに束縛され、その状態を私は空中を手でモガク事によって振りほどき、何か息苦しく、それに対処するという方法は無いごとく、その行為を自体を夢の中で繰り返していたのである。そして何度目かに捕まえられたときに、目が覚めた。
私の上を覆っている毛布は畝って私に絡み、片腕は敷き布団をはずれて畳の上に飛び出、もう片方は毛布に捕らわれていた。重苦しく、太陽の光が直接は一日中は入らない部屋。酷く憂鬱で、長い間の土の中の暮らしから追い出された虫のように、それによって死の年が明確になる蝉のように、私は殻をまとわりつかせていたのであった。
その夢自体は何も昨日今日に始めてみる夢ではない。私の人生においてたびたび見る夢であり、おそらくその夢の根となっている根源部分については認識しているのである。四畳半の部屋の本棚に置かれているフロイトの「精神分析学入門」や、ユングの「自我と無意識の関係」を改めて読み返す必要性は無い。かといって問題の根本が解決される方法、あるいは私をその根本に近づける知識を私は見出しているわけでもなく、問題なのはそういった根源に私自身が向かっていないという現在の状態がそれを見せるのであり、その夢を避ける方法として私が選んだのは、もはや意思をもたず自然の中で自らの役割を全うし続ける植物的な方向であった。そのような状態がこの夢となって、いわば過去の自分がそういった根源を探ろうとしている手が現在の自分の夢に現れていると言うべきであった。
そしてそのように追われるような夢を見たきっかけであるが、それは前日に岡本太郎の作品に触れたからかもしれなかった。私は以前、岡本太郎の記念館を訪れた。そしてその時の話は既に日記に書いた。そこで私は岡本太郎の生み出した作品が持つ生命力に感動したのであった。しかし今回岡本太郎の美術館を訪れたことにより、以前には味合わなかったより大きなものからの脈動を、伝わされた気がしたのである(岡本太郎の作品は、太郎の自宅のアトリエ跡である岡本太郎記念館と母の塔を初めとする太郎の作品が寄贈された川崎の岡本太郎美術館にある)。私の体よりも大きなオブジェ。陶器の刺々しい壺、鶏のティーポット、底に顔があるガラスのコップなど、様々な媒介を通じて岡本太郎が伝わってくるのである。
そうして自分がそれらの作品の中にあると、また、その作品の一つである座ることを拒否する椅子に座り周りを囲まれると、自分という人間の中身が、形が、酷く掻き乱されてゆくのである。確かにそれら一つ一つの作品としては、そこから生命力を与えられたり、明日への活力を得たりするのだが、全体としてそれらの中にある自分を感じてくると、酷く気分が悪くなり、自身の内蔵と皮膚が逆さまになるように酔うのである。そしてそれは、単に作品を客観的に見て、岡本太郎がどんな作品を作っていたかと言うことを知るのではなく、自分ならどうするのかという視点からの対応であって、それに対抗出来る自分のアイデンティティを映し出した何かを作り出すことが出来ない事から来ていいるような思われる。私はオブジェではなく詩なのであるが、そのようにして一週間色々と最近忙しくて一つの詩としての形態を取っていない詩未満の物に向き合っているのだが、何かだんだんと精神がやつれてしまったようでもあり、しばらくは私の友人達の中を歩いて、名前を覚えてきた友人の木と語りあうことにより、精神を休めていこうと思うのである。
近頃は日記の内容の順序が不自然な様に思えるかもしれないが実際そうであって、必ずしもその日に書いた物がその日に上がるというわけではない。申し訳ないが、あまり気にしないで頂きたい。精神状態に応じて一度に考えを記載することが出来ない日も多いからだ。それらはしばらく状態が変わった時、かつての走り書きなのような物を、それでも私は考えたのだ、或いは感じたのだという物を残そうとして書き上げる事も多い。私が書く遺書というものも、それを誰かに向けて分かるように書くというのではなく、ただ曖昧に、もはや読む事の無い自分に向かって書き続けるのであろう。