故郷

かぼちゃ


私の故郷は穏やかであった。周りを囲う山々は、一つとして争うことなく、みな蕩々として流れていた。雲もまたかくのごとく他と重なり合いながら山の向こうへと薄れていくのだった。きっとその中で、果物は何もかも忘れてうっとりと実っていくのであろう。私の心は終始穏やかであって、私がやはりここで生まれたのだろうと、それはたとえ地に根ざしたものでなくとも、そう思えるのであった。
私はただ一人の祖父と共に、遅い盆の挨拶に縁者を周り、私にかつてお小遣いを与えてくれた人達、もはや手の指の骨が縮み、物を掴むのも用意で無くなった人達の老いた顔を見るのであった。平日の昼間だからであろうか、あるいはもはやそのような土地になってしまったのであろうか、どの家々も若い者の息吹が途絶えて長い時間が経っているように感じられる。それらの家には、不思議な清潔感があって、それは整っているというのとはまた別の、おだやかな静寂さである。
そしてまた、それらの家には決まって仏壇があるのだった。私が向かった祖父の実家にあたる旧家の居間は、脇の部屋が仏壇になっており、居間と仏壇の部屋の間は常に開け放たれていた。その部屋では仏壇が半分以上を場所を占め、私の親の家にも私の家にもない、死者とともにある生者の生活というものを私に感じさせたのであり、それは子供を作るつもりも、結婚するつもりものない私という人間に、酷く後ろめたい思いをさせるのであった。
その家の居間の上は、広い吹き抜けになっている。その2階部分を支える梁が妙に色づていた。そのような家は、吹き抜けという広い空間が空けられることによって、暑い外気からは放たれている。そのひんやりとした居間のサイドボードにフェルメールの絵画のポストカードが飾られているのを見て、やはりこの家にも若い人がいないのだろうなあと、それは私に改めて感じさせたのであった。
私はそのような風景の中に、蝉の声が聞こえないのを感じていた。少年時代、夏休みにのみ故郷に帰る私の耳には蝉の音が染みついている。昼にはなかなか寝付けない私は、暑い中を合唱する彼らの声を煩わしく思っていた。なにか気候的な問題だろうか。しかし私の住んでいる街は今年も蝉の音で溢れている。朝方起こされる日も幾日かあった。
私は祖父に、蝉があまりいないことについて訪ねた。
「今年はあまり鳴かないなあ。農薬のせいかもしれない。」
ここはまた、あまりに不条理である。かつての田畑には蝉が消え、街には蝉が溢れている。それはまた私と何かが同じようで、かといって何かとはっきり言うことは出来ず、ただ私の心をいぶすのみであった。私はやはり、遠い都会に帰らなくてはならなかった。