森に帰ろう

わらじ


東京はどこに出かければいいのかわからない、と会社で呟いたところ、浅草のサンバカーニバルを見に行ってくればと言われた。元来私はこういうような人が集まる所、騒々しい所を避けているのであるが、結局何も考えないまま次の日になってしまい、また、浅草が意外と近いことに気が付いて、結局出かけることにした。それというのも最近取り組んでいる仕事が重たく、家に帰ってきてもそれを引きずっていることが多いので、心が落ち着かないからだ。かなり悪い傾向である。
上野で地下鉄の銀座線に乗り込んで、三駅目の浅草へと向かう。浅草の駅は早くもごった返していて、「帰りの切符をお買い求め下さい」、というアナウンスが流れる。幸いにしてパスカードを持っていたので、既に込んでいる切符売り場には並ばずに地上へと向かった。3時からパレードということで、既にパレードは始まっていた。
通りの左の方から(日本テレビの方から)サンバのリズムが流れてきた。だが、人が多すぎ、そして賑やかで、私はとてもその場にいることが出来なかった。私は本当に寂しい人間である。それは、私が育った過程でそういった物が染み付いたのかもしれないし、閑寂さを求める所からすると、もともとそういったことを求めていく人間なのかもしれない。私はここにいると、本当にこんな中途半端に生きていていいのかと、情けなくなってくるのである。
松尾芭蕉の言葉に、「ついに無能無芸にして只此一筋に繋がる。」という言がある。色々なことに手を出したとしても、結局何にもなるものではない。自分に出来る事を一つの事をやって行くのみだという事だろう。どんなに才能にあふれている人でも、すべてに手を出していたのでは、結局そのすべてが優れたアマチュアということになる。
私に出来ることとは何だろう。それは、空を眺める事と、樹木の声を聞く事だろう。私が書いている詩は結局のところ、彼らのことなのだ。すべてを自然のにゆだね、空っぽになった私の心に入ってきた彼らの事を、断片としてではなく全体として言葉にしているだけなのだ。
この前、会社で表彰式があり、私はその準備要員として借り出された。そして表彰のあいだは暇になった。その時同じような準備要員の人と話をした。彼もまた職場では忙しい所にいて、彼は「こんな時が時々あるといいですね」と言った。私は空を見て、「早く雲を眺めて暮らせる日がくればいいのですが」と言った。彼は少し笑っていた。空は晴れていて、雲の無い日だった。
私はとりわけ何かが出来る人間というわけではなく、ただ順番に就職面接を受けていき、内定を最初に与えてくれた所に入ったという、何の動機も無いうらぶれた人間である。雲を眺めて暮らしていける職業とは何か。私に出来る只唯一のことだ。
その後私は浅草寺をぶらぶらした。浅草寺に入る最後の門の裏に、大きな3メートルぐらいのわらじが飾ってあった。そのわらじの下に「山形県村山市奉納」とあり、こんな所に東北の物があるとはと不思議に思った。昔、大ケヤキを見に行ったことがあったなあと思った。だが、あれは東根市の勘違いだった。その大ケヤキは東根小学校の校庭にある。出張に出かけた時、宿で自転車を借りてかなりの距離を走っていった。小学校に着いた頃にはもう夕方で、フラッシュの付いてない私の携帯カメラでは撮ることが出来なかった。胴回りが10m以上あるケヤキだったと思う。
少し、部屋で座禅でも組もう。精神を安定状態に戻した方がいい。私の精神の背後に、雪山の静寂さを抱く事が出来るように。私は雪の日の生まれだ。
最近、王蟲(オーム)の「帰ろう 森に帰ろう」という声が聞こえてくる。「土に根を下ろし、風と共に生きよう 種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう」私はそう願うのである。